*--「アメリカ系うちなーんちゅ」随筆--*

18 アミリカー(その2)  2010/10/21(木)
17 アミリカー(その1)  2010/10/20(水)
16 「外人」ではなく、「外国人」と言いましょう。(その4)  2010/10/19(火)
15 「外人」ではなく、「外国人」と言いましょう。(その3)  2010/10/18(月)
14 「外人」ではなく、「外国人」と言いましょう。(その2)  2010/10/17(日)
13 「外人」ではなく、「外国人」と言いましょう。(その1)  2010/10/16(土)
12 アメラジアンって?  2010/10/15(金)
11 「混血児」?ならば私は「混血大人」?(その3)  2010/10/14(木)


18 アミリカー(その2)


(上の写真ですが、南風原町にて行った町民対象のうちなーぐち講座で教えている様子。)




最近の若い人たちは、うちなーぐちが分からず、東京人と同じような言葉の使い方になってきてしまっているので、「アミリカー」=「外国人」という事は知らない人がほとんどでしょう。

そういう意味合いで使う方は、50代以上の方に限られていると思います。

ですから、年輩の方ならば、今でも私に「光龍さんはアミリカーなの」という具合に聞いてくる人がいます。

こう直接的に聞かれれば違いますと答えますが、間接的に

「光龍やアミリカーやしが、うちなーぐちぇー上手どーやー(光龍はアメリカ人だがうちなーぐちはうまいよな)」

と言っていたよと聞かされると、「光龍はアメリカ人だが」と言う所は事実と違うので、また勘違いされているよ、と思い嫌な気分になります。

しかし、「うちなーぐちは上手」という所はほめられているので悪い気はしないのは事実です。

ただ、こういった事は今までに何十、何百回も聞かされてきているので、ほめられているのやら、けなされているのやら、どう答えてよいか分からなくなってしまいます。

世界中どこの国でも年輩の方たちは昔の考え方で生きている方が多いので、その人たちが使う言葉は現代にそぐわないというのは何も、うちなーに限らず日本でもあるし、アメリカでも、ドイツでもあるでしょう。

しかし、良い気分にはならないということは、しっかり誰かが伝えておかないと、年輩の方だからどんな言葉を使っても良いという事ではおかしいでしょう。

ただ、その年輩の方たちに言って直させるというのは容易ではないでしょう。

もう何十年も凝り固まって、かたくなに自分の世界を築き上げてきてしまっている方に、今はそういう言い方は傷つく人がいるんだよとか、良くないよとはなかなか言えないものです。

ましてや、年輩の方で社長さんとか、何かしらの社会的地位を持っている方ならばなおさらです。

私も年輩の方にこういう言い方は、今はあまり良くないですよとは、なかなか言いにくいものがあります。

けれども、これから私は色々なところで講演会を行っていくので、きちんと良くない言葉は良くないのだと言っていこうと思います。

今回の「アミリカー」をはじめ、「外人」、「ハーフ」、「あいのこ」、「混血児」などの言葉は差別的な意味合いが強いので、これを読んで下さった皆さんへお願いなのですが、これらの言葉を使うことはやめて頂けませんか?

こういう事を書くのはきついのですが、日本社会では、人種問題についてはあまりメディアには取り上げられないし、教育ではほとんど教えられないでしょう。

それでも、わたし自身は当事者なのでぜひ、ここに書き記しておこうと思います。


それならば私の事はどう呼べば良いのか?

結論をようやく述べます。

それは最初に書いた

「アメリカ系うちなーんちゅ」という言葉です。

これについては、次回述べたいと思います。
Date: 2010/10/21(木)


17 アミリカー(その1)


今回は「アミリカー」と言う言葉について。

私はこの言葉にはかなりトラウマがあります。

でも大切な事なのでここで書いておきたいと思います。

この言葉について述べる前に、言葉の意味について書いておきます。

まずうちなーぐちでアメリカは「アミリカ」と言います。そしてアメリカ人の事は「アミリカぬ人(ちゅ)」と言います。

「アミリカぬちゅ」という言い方を初めて聞く方も多いと思います。

それならば「アミリカー」という言い方はどうでしょうか?

これならば聞いた事があるという、うちなーんちゅは多いと思います。

しかし、うちなーぐちでは語尾に「アー」と付けると卑称、つまり馬鹿にした言い方になるのです。

「アミリカ」の語尾に「アー」を付けると、「アミリカアー」、それが変化して「アミリカー」となります。

したがって、「アミリカー」というのはアメリカ人を軽蔑した言葉なのです。

同じように、内地、つまり他府県の人に対して「内地アー」、それが変化して「ナイチャー」となりますが、これも軽蔑した意味になります。

ただ「内地ぬ人(ちゅ)」と呼べば問題はないのですが、こういう言い方はまずしません。

なぜかと言うと、うちなーぐちでは他府県、つまり日本人のことは「大和(やまとぅ)んちゅ」と呼ぶのが一般的だからです。

さて、「アミリカー」に話しを戻しますが、この言葉を私は小さいころから何十回、何百回聞いてきたことか。

ある時は私自身に向けられて、ある時には、アメリカ人に向けて。

色々な場面でうちなーんちゅはこの「アミリカー」と言う言葉をよく使います。

「外人」と言う言葉について前回書きましたが、現在この「外人」という言葉を使う日本人で、軽蔑の意味を込めて使う人はあまりいないと思います。
しかし、だからと言ってよい言葉ではないので「外国人」と言い換える事を私は日本社会に提唱したいと思います。

「外人」という言葉と同じように、「アミリカー」と言う言葉も同じように良くない言葉ですが、だからと言ってわたしが過去に聞いてきた範囲では、大体8割方のうちなーんちゅは、ただ単に慣例でアメリカ人を指すときに使っているのであって、良い悪いとか感情をはさんでいないというのが現実だと言えると思います。

けれども、上で述べたように、この言葉を使うことを良い事だという風に私は肯定しません。この言葉も「アミリカぬちゅ」と言い換えることを、私はうちなー社会に提唱したいと思います。

さて、ここまで書いてきて「アミリカー」という言葉の意味について分かって頂いたと思います。

その2に続く。


Date: 2010/10/20(水)


16 「外人」ではなく、「外国人」と言いましょう。(その4)


(上の写真ですが、写真上にも書いてある通り、沖縄市にあるアミューズメントパーク「こどもの国」のイヴェントにて演奏している様子です。)



英語が話せない西洋人の風貌をした人たちというのは、当たり前の事ですが、何らかの理由で英語教育を受けていないのです。

それは父親、もしくは母親のどちらかがいないという事が考えられるでしょう。

しかし、顔が西洋人なので日本社会ではどこに行っても、街で、もしくは初めて人と会う場面で外国人と勘違いされる事があるかもしれませんし、子どもたちからは「ハロー」と声をかけられることもあるかもしれません。

そういう事が、何度も何度も続くと精神的に病んでしまう人も出てきます。

私はそういう社会からの偏見で精神を病んだ同じ境遇の人に何十人と出会ってきました。

これはゆゆしき事態です。

私がこういう事を書くのも、そういう今まで精神的な病を患ってきた同じ境遇の人たちを救いたい、また、今後もそういう人たちがこの日本社会で出てくるだろう事を思い、ぜひ、私達の事実を知らしめたいという思いからこの文を書いています。

これを読んだ同じ境遇の人たちへ。

いつでもメールを遠慮せずに下さい。

私に出来ることがあればなにか手伝いたいと思います。

さて、重い話になりましたが、まだまだ続きます。

次は「アミリカー」という言葉について。
Date: 2010/10/19(火)


15 「外人」ではなく、「外国人」と言いましょう。(その3)


(上の写真ですが、恩納村のリゾートホテルで観光客へうちなー民謡を楽しませてくれとの依頼があり、その演奏前の一枚。)




日本国内では相手が英語で話しかけてくる以外は自分から積極的に英語で話すというのは失礼にあたります。

まず私が困ります。

私の人権が無視されています。

東洋人の風貌をした、当たり前の日本人には、まず子どもたちから英語で話しかけられることはないでしょう。

しかし、私は結構日常茶飯事です。

道を歩いていて子どもに「ハロー」と何度声をかけられたことか。

そして、それはこれからも続くでしょう。

これは異常な事態だと言えるでしょう。

これは改めなければなりません。

英語偏重主義がかなり加熱しているこの日本社会に誰かがブレーキをかける必要があると思います。

私は中学校や高校に講演で呼ばれる事がありますが、まず最初に私の生い立ちを説明した後に

「私にハローと言うと私はどういう気持ちになるでしょう?」

と生徒たちに問いかけます。

そうすると、かなりまともな答えが返ってきます。

例えば

「嫌な気持ち」、とか

「気まずい」、とか

「頭に来る」など。

やはり、話してみれば、子どもや大人などと関係なく分かってもらえるものだと私は思います。

私はそういう事を日本、うちなー社会に伝えていく役目があるのだろうと最近強く感じます。

でも、本当はこういう事を、同じ境遇である草刈正雄さんとか、ウエンツとか、ベッキーなどが言えば社会にもっと早く認知されるだろうし、助かる人が何千、何万といるのに、と思います。

その4に続く。

Date: 2010/10/18(月)


14 「外人」ではなく、「外国人」と言いましょう。(その2)


(上の写真ですが、古いうちなーの原風景のように見えるでしょう。実はレプリカです。海洋博公園内のおきなわ村で撮りました。無料です。みなさん出かけてみましょう。)




「外人」と言う言葉ですが「外国人」と呼びましょうと書きました。

しかし、私に「外人」という人がいまだに、いや、もしかしたら私が死ぬまで日本社会には存在し、こういう人と付き合っていかなければならないのかもしれません。

これまで書いてきた事を読んで下さった方に尋ねたいのですが、私は「外人」ですか?

いや、冗談でもこういう聞き方は良くないですね、「私は外国人ですか?」

プロフィールを読んで頂ければわかるように、私は日本国籍のみを有するおきなわ人です。

したがって私は外国人ではありません。

たまたま父親が米国人だったのですが、その存在も知らないし、会ったことも、見たこともありません。

母がおきなわ人で、その母の兄夫婦、つまり伯父、伯母に生後すぐ引き取られ育てられました。

したがって私は、国籍上は完全な日本人です。

私に「外国人」、ましてや「外人」と呼ぶ人には、正直、嫌な気持ちになります。

こんな言葉を私にかけてくるというのは、知らないからしようがないのかもしれませんが、やはり頭にきます。

これに対しては、私は一生付き合っていかなければならない課題なのでしょうが、正直に告白すれば、41歳になった今でも、やはりきついものはきついです。

大人でも「外人」という言葉を平気で使う人はたくさんいますが、一番困るのは子どもたちです。

子どもがたくさんいる中に飛び込んで行った時にはもう大変な状態になります。

まるで動物園のパンダにでもなったような気分です。

無法地帯だとも言えるでしょう。

子どもたちは平気で「外人」と連呼し、カタコト英語で「ハロー」などと話しかけてくるのです。

親ももちろん悪いのですが、学校も社会も悪いのです。

日本社会には、顔は西洋人かもしれませんが英語をまったく話せない人もいるし、仮に西洋人だとしても母国語はスペイン語かもしれませんし、ロシア語かもしれません。

英語偏重主義の日本では少数の人間の気持ちなど考えた事もないかのようです。

これはぜひ改めなければなりません。

英語教育を小学校からやるという日本社会ですが、英語の授業では必ず人種教育もやらなければいけないでしょう。

 その3へ続く
Date: 2010/10/17(日)


13 「外人」ではなく、「外国人」と言いましょう。(その1)


(上の写真ですが、私が良く行く那覇市壺屋にあるうちなー関係の古本がたくさんある「ツボヤ書房」内にて一枚とらせていただきました。)




今回は「外人」という言葉について書きたいと思います。

はじめにはっきり言わせて頂きますと、この言葉は良い言葉ではありません。

聞く人によっては差別だと思われます。

しかし、現在の日本では、ほとんどの人が平気で使っている言葉だと言えるでしょう。

NHKの方から聞いたのですが、「外人」ではなく「外国人」と言う言い方を用いるのだと言っていました。

それならば、別に差別でもなんでもない、ただ単に外国の方を呼びあらわす言葉だと言えます。

現在でも「外人」という言葉は本当に、頻繁に日本人が米を食べるように使います。

これはだめです。

良い言葉ではありません。

「外国人」と言うように意識しましょう。

「外人」と言うならば、日本人は「内人」なのかと言えるでしょう。

「外人」も「内人」も意味がない訳の分からない言葉だと言えます。

私は21歳の頃、東京で建設関係の仕事をしていました。

ある日、午後3時のお茶の時間に私を使っている社長の元へ業者がやってきて

「あれー、外人さんをやとったの」

と平気な顔をして大声で、私を使ってくれている社長に声をかけてきました。

そこで若かったからなのですが、私はキレてしまいました。

その業者さんに

「俺は外人じゃねーんだ!おきなわ人だ!」

と吠えたのです。

今思えば大人げないのですが、私と同じ思いをしている人はこの日本中探せば、おそらく1万人ではきかないのではと思います

人種問題に関してはとにかく疎い国日本。

私がこれから変えていきます。

このブログをきっかけに日本社会が人種問題に対してもっと敏感になってくれる事を願いたいものです。


その2に続く
Date: 2010/10/16(土)


12 アメラジアンって?


(上の写真ですが、今も教えている那覇市真地にある、ウエルカルチャースクールの教室内での一枚)





私を定義するたくさんの言葉が日本社会には存在しますが、今まで書いた「ハーフ」、「ダブル」、「混血」などよりは、まだ肯定的に思える言葉が「アメラジアン」という言葉です。

これは「アメリカン(American)」と「アジアン(Asian)」をくっつけた造語なのです。

「アメリカンアジアン」を短縮して「アメラジアン」。

うーん、けれども、この言葉も微妙ですね。

「ハーフ」、「ダブル」、「混血」などよりは、まだましだとは言えますが、ちょっと呼びにくいです。

私が最終的に言いたい事に近い言葉ではありますが、「アジアン」というと範囲が広すぎるので、この言葉は却下したいと思います。

アジアっていわれましても、アジアにはインドもあれば、中東までも含まれています。

そして、アジアンという言葉には特定の地域を指し示していないし、私の重大なアイデンティティである、うちなー(おきなわ)という文化を示せないというのが一番ひっかかります。


「アメラジアン」について私の友人であるスティーブン・マーフィー・重松さんは「アメラジアンの子供たち」という本を著しており


http://www.excite.co.jp/book/product/ASIN_4087201430/


で、彼の著作について見ることが出来ます。

この「アメラジアン」と言う言葉についてどう思うかということを、大人で私と同じ境遇の何名かに聞きましたが、あまり良い気持ちがしないと言っていました。

はい、それならば他に何があるのでしょうか?

次は「外人」という言葉について書きたいと思います。
Date: 2010/10/15(金)


11 「混血児」?ならば私は「混血大人」?(その3)


(上の写真ですが、県内大手の中央ツーリストという会社のイメージキャラクターに私がなり、中央ツーリスト本社前の、のぼりと、会社の上の巨大看板に、私が三線を持って立っている姿が使われている様子です。)




その2からの続きです。

ただ、これは倫理的に、道理的に良くないだろうという、各テレビ局、ラジオ局、新聞社、出版社の良心で日本社会のメディアは成り立っています。

ですから、「混血児」と言う言葉は明らかに差別語ではありますが、それを謳っている日本政府公式のリストなどというものは存在しないようです。

では、どうして「混血児」を差別語と私は書くかというと、色々な文献によると、という引用をする事もできますが、その前に差別語と認識される基本は、その語を差別だと感じる人がいれば、差別語だと認識されるべきだと私は思うのです。

つまり結論ですが、私、比嘉光龍(ふぃじゃ ばいろん)が他人に、「あなたは混血児ですね」と言われると差別されていると感じる、これがすべてではないでしょうか。

それでも使いたいという人とは喧嘩をしたくはないので、私は関わりをもちたくない。

それだけです。

いやー、私自身、自分の事を書いていて難しいなと感じます。

それはそうでしょう。

私は、1945年以前の日本、うちなー社会には、ほぼ存在しない生命体ですから。


最後にもう一つ。

「J・K・ローリング原作の世界的ベストセラー小説「ハリー・ポッター」シリーズの映画版第6弾、邦題「謎のプリンス」は、もともと原題がHarry Potter and the Half-Blood Princeであり、正しくは「混血の―」とすべきところを、日本国内に住む混血児への配慮により、原作者の了解のもと、「謎の―」に改題されたという経緯がある」

という記事がネット上あちらこちらで見受けられます。真意のほどはともかく、やはり「混血」と言う言葉は日本社会では問題だという意識が働いているのだと思います。

みなさんはどう思いますか?

さて、「混血児」もだめですが、ほかには「アメラジアン」という言葉があります。次はこの言葉について述べたいと思います。
Date: 2010/10/14(木)


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