2014年以降現在までの最新記事はNewsの項目に掲載中です!  2015/04/09(木)
98 東京女子大学の「学会ニュース」に寄稿しました。  2013/12/26(木)
97 沖縄大学のマスメディア論(担当・緒方修教授)にてゲスト講師  2013/07/13(土)
96 東京女子大学講演と夜の吉祥寺での唄三線ライヴ!  2013/06/28(金)
95 登川誠仁先生の弟子でした  2013/04/24(水)
94  千葉県女性の語る「おきなわの12の不思議」  2013/04/22(月)
93 奄美大島にて沖縄大学の移動市民大学講座と琉球継承言語会にて発表  2013/04/19(金)
92うちなーで旧正月も復活させましょう!旧大里村古堅にてうちなー正月を祝う  2013/04/18(木)


2014年以降現在までの最新記事はNewsの項目に掲載中です!

御総様(ぐすーよー。皆様の意)。

ブログは当分お休みにします。

ただ、2014年以降現在までの活動は簡単にではありますが「News」の項目に掲載してあります。

そこをチェックしていただければ私の最新の活動などが分かりますので、良たさる如、御願さびら(ゆたさるぐとぅ うにげーさびら、と読む。よろしくお願いしますという意味)。
Date: 2015/04/09(木)


98 東京女子大学の「学会ニュース」に寄稿しました。

上の写真は「学会ニュース」の表紙。

下の写真は、私の寄稿文と2013年6月21日に東京女子大で行った講義の様子。



 今年、2013年6月21日に東京女子大学にて講義を頼まれて行ってきました。その際の講義内容などを要約した文を書いてくれと頼まれ、それが「学会ニュース」というものに掲載されました。

 写真にその内容はありますが、スキャンしたものなので、少し見にくいかもしれませんので、下に全文を掲載したいと思います。多言語・多文化社会日本なのに、それについて全然メディアなどでは取り上げてくれない。オリンピックも招致し、開かれた国をアピールしたい日本ですが、アイヌや琉球など、自国のマイノリティへのサポートはほとんど行わない日本政府。これでは国際社会では通用しないでしょう。日本のマイノリティのサポートはいつやるの? 「今……」、いや、これ以上は言わない(笑)今年の流行語のパクリはやりたくないので。


さて、それでは私の渾身の力をこめた文章を読んでいただければ幸いでございます。





「多言語」「多文化」共生の「優しい日本社会」の提案
沖縄大学地域研究所 特別研究員 比嘉光龍(ふぃじゃ ばいろん)



2013年6月21日(金)に「ウエルフェア・リングスティックス―人々の幸せにつながる言語学―」という公開連続講演会の一貫で、講師として東京女子大学にて講演を行わせていただいた。私は、―本当は「多言語国家日本」―琉球諸島の6つの言語、「琉球諸語」復興活動に携わって―、という題で講演を行った。

その講義にて、ユネスコ(国連教育科学文化機関)が2009年2月に、日本には日本語の他に、アイヌ語、八丈島の八丈語、琉球諸島の6つの言語(奄美語、国頭語、おきなわ語、宮古語、八重山語、与那国語)があり、日本は日本語を除いた8つの「危機言語」が存在する多言語国家だと発表した、ということを述べた。

ユネスコの担当者は「これらの言語が日本で方言として扱われているのは認識しているが、国際的な基準だと独立の言語と扱うのが妥当と考えた」と話している。

世界的な機関「ユネスコ」の重大な発表があったにも関わらず、なぜ、日本は「日本語」のみの単一言語しかないという幻想を頑なに持ち続けているのか?それは、島国だという地理的な要因が一番大きいかもしれない。

けれども、ヨーロッパにある「イギリス」は日本と同じ島国国家ではあるが、近年、多言語国家を形成しつつある。

そのイギリスの中のウェールズ地域だが、ここは地域というよりは、「ウェールズ国」という一つの国で、公用語は「ウェールズ語」である。「英語」も、ウェールズにおいてはもちろん公用語だが、ウェールズ人は「ウェールズ語」を第一の公用語として扱おうと、義務教育にも導入し、郵便局や警察署などの公的機関は「ウェールズ語」を話せる人材を置くというような努力をし続けている。

もうひとつ日本が「単一言語幻想」を持ち続けるのは、米国の影響が背景にあるからであろう。日本は米国追従国家だという事実は世界中誰でも知っていることである。

その米国は人種のるつぼといわれ、「多民族」「多人種」を認める寛容な国家という印象があるだろう。しかし、「言語」に関しては、「英語」以外は認めないという頑なさがある。その米国も、ハワイ州に対してだけは「ハワイ語」に、英語と同じ「公用語」の地位を1978年に与えた。

ただ、そういう事実があっても、米国本土では「英語」以外の言語を「公用語」としては特に認めておらず、米国は日本と同じ「単一言語国家」だといえる状況である。

他にも日本人が日本には「日本語」のみの単一言語しか存在しないという幻想を持ち続ける理由はあるだろう。

けれども、最初に述べたように世界の機関「ユネスコ」が日本には「8つの危機言語」があると発表したのである。日本は経済大国であり、世界の貧しい地域に援助をする立派な国である。

しかし、自国の少数言語への援助はまったくといってよいほどしていない。日本の少数言語である「アイヌ語」や「琉球諸語」が危機だというのは、この世から消滅するかもしれないということなのである。

「アイヌ」も「琉球」も地球の一地域であり、その文化の根源である「言語」は日本にとって、また、人類にとっても「宝」なのである。その「宝」が今まさにこの世から失われようとしている。

世界遺産に富士山を登録したい、東京へオリンピックを招致したいということと同等の価値が「アイヌ」や「琉球」にはある。それをまったくといってよいほどメディアは取り上げないし、日本の「政治」「教育」「行政」も無視という状況が2013年現在も続いている。

実は、ユネスコがいわなくても日本は本来、「多言語」「多文化」社会だった。そうであるにも関わらず、明治以来の「富国強兵」「西洋に追いつけ」という軍国主義が作った「単一言語」「単一文化」思想が足かせとなり、それは、現在でも払しょくできないでいる。

日本社会の事実、現実をきちんと見据えてみれば、それは「幻想」なのだというのは誰でも分かることであろう。

最後に言いたいのは、「多言語」「多文化」を認めるというのは、相手を認めるということに繋がり、日本の大きな問題、「いじめ」を少なくすることに繋がる。

厳しい言い方だが、日本は「アイヌ」や「琉球」などの少数派をいじめている状況を明治以来続けている。マジョリティがマイノリティをいじめるという構図は西洋でも当然あるが、イギリスは「ウェールズ」、アメリカは「ハワイ」、スペインは「カタルーニャ」、というマイノリティの「言語」や「文化」などを認める政策を取っている。

「多言語」「多文化」共生社会というのは日本の未来を明るくする。日本社会は物質的なことは豊かだが、少数派を抑圧する閉鎖社会だという印象を内外から聞く。今後は、物質的なことも大切だが、精神的にも豊かな、「多言語」「多文化」共生の「優しい日本社会」の実現を提案したい。

Date: 2013/12/26(木)


97 沖縄大学のマスメディア論(担当・緒方修教授)にてゲスト講師



上の写真は2013年7月9日(火)、マス・メディア論にて講義中、生徒さんに質問している様子。

下の写真は、同じ講義で、終わりに「かじゃでぃ風」の生演奏をしているところ。




 沖縄大学にて講義を行ってきました。私は現在、「沖縄大学地域研究所 特別研究員」という肩書きを頂いているのですが、私を研究員に推薦して下さったのが、今回の講義を依頼して下さった、元沖縄大学地域研究所所長の緒方修先生です。緒方先生は、元々、東京にある全国放送ラジオ「文化放送」にて30年近く勤め、その功績を認められ、退職後は沖縄大学に迎えられ、マス・メディア論等を教えていらっしゃいます。実は緒方先生のマス・メディア論のゲスト講師を頼まれるのは2回目で、去年かおととしにもやりました。今回は急に頼まれたので、生徒さん達には何も言っておらず、教室に入ったら私が居るので生徒さん達はびっくりしたことでしょう。

さて、講義の内容ですが大体以下のことを話しました。

 〇笋里海箸蓮屮蓮璽奸廚箸「トーフ」(笑)ではなく、「アメリカ系うちなーんちゅ」と呼んで下さい、といつも私が講演等で語ることも話しました。これについては私のこのウェブサイトの「随筆」の「アメリカ系うちなーんちゅ随筆」にたっぷり書いてあるので、時間のある方は読んで下されば幸いです。日本社会では当たり前ですが、私も含めた、当事者の「アメリカ系うちなーんちゅ」の中には、今会ったばかりの人に「ハーフなんですか?」と聞かれるのは嫌な気持ちになるとおっしゃる方も結構います。

◆ 屬Δ舛福爾阿繊覆きなわ語)」と「うちなーやまとぅぐち(おきなわ語と日本語がまざった言葉)」の違いを私が作った表を元に説明しました。例えば「おばあ」という言葉ですがこれは日本語であり、うちなーぐち(おきなわ語)とは関係の無い言葉で、本来のうちなーぐちでは、士族が「ぅんめー」平民は「はーめー」と言う言葉を使っていました。また、「にりる」「とぅるばる」と言う言葉も本来のうちなーぐちでは「にりーん(あきる)」「とぅるばいん(ぼんやりする)」と言い、「にりーん」の語尾に日本語の「〜する」が入り込み、「にりる」という言葉を2013年現在、40代以下の人達は使っています。「とぅるばる」も同じことです。こういう日本語がまざった言葉を「うちなーぐち」だと40代以下の世代は思いこんでしまっているという説明もしました。

 琉球とうちなーの歴史定義についても説明しました。これまで千人近くの方々に琉球・うちなーの歴史定義について講義してきましたが、ほとんどの方に「知らなかった」と言われました。これは無知だという問題ではなく、教育や政治、メディアなどで取り上げないからでしょう。この説明は長くなるので要点を1879年、一つに絞ります。これまでの受講生の1割はようやく1879(明治12)年のことは知っていました。ただし、「琉球処分」だという認識です。この定義は完全に東京史観であり、琉球側からすれば「日本が琉球を侵略し沖縄県を強制設置」したというのが真実です。よしんば1879年を知っていても、1879年4月4日に「沖縄県」が強制設置されたという事実を知っている人には会ったことがありません。米国人のほとんどは7月4日の自国の独立記念日を知っているのに、沖縄県民が多数を占める千人近くの私の講座受講生のほとんどは1879年4月4日の事は知りませんでした。もちろん今回の沖縄大学の生徒さん達も誰一人知りませんでした。歴史を知らないから、うちなーぐちは「方言」だと思ってしまうし、琉球の歴史や言語に興味を持てないでしょう、と私はかなり熱く語りました。

講義を聞き生徒さん達がどう思ったか?アンケートを緒方教授が取って下さったので下に紹介したいと思います。


沖縄大学3年生 女子
今回、比嘉光龍さんの講義を受けて今まで私達が学んできた、沖縄の事、言葉が違っていた事、新たな発見も出来ました。また、今までうちなーぐちだと思って話していた言葉が、うちなーぐちではなく、うちなーやまとぅぐちだと知り、祖父、祖母と話していると、伝わらない事があったので、このうちなーやまとぅぐちのせいだと知りました。講義を聞いて沖縄の歴史、言語を話せるようになりたいと思いました。


沖縄大学4年生 男子
今日の講義を受けて、私は沖縄のことについて無知であることがわかりました。普段から使っている言葉もうちなーやまとぅぐちであることを知り、本当のうちなーぐちを学びたいと思いました。本当に楽しく、勉強になった90分間でした。


沖縄大学3年生 女子
 琉球時代の知らない歴史がこんなにもあるのかと驚いた。強制的に占拠したこと、されたことどちらにしても知られたくない過去なのかもしれないが、琉球独特の文化が消えつつある原因であったことを忘れてはならない。


沖縄大学4年生 男子
 私達は沖縄に住んでいながらも何も知らずただ分かりきったように方言をしゃべっていてとてもはずかしい思いをしました。今、私達にできることはなにかを考え、歴史やうちなーぐちを話せるようにしていきたい。


沖縄大学4年生 男子
 沖縄の本当の歴史を知って、日本はかなりひどい扱いをしてきた事を知りました。日本は沖縄をうまく利用しているように私は感じました。


沖縄大学4年生 男子
 今日の講義はとてもよかった。知らない事が自分に多すぎると思った。また、バイロン先生は熱い心を持っていると感じて、とてもよかった。


沖縄大学3年生 男子
今日の比嘉さんのお話しで、うちなーぐちとうちなーやまとぅぐちの違いがよくわかった。また、もっと沖縄のことを勉強しなければいけないと思った。


沖縄大学4年生 男子
ふぃじゃばいろんさんのうちなーぐち講座を聞いて、「ハーフ」と聞くのは良くないと知っておいて良かった。私の知り合いにも父親がアメリカ人でハーフの後輩がいるが初めて会った時に「ハーフ?」と質問をして彼の心を傷つけてしまったのではないかと罪悪感が今でもある。


沖縄大学3年生 女子
今日のバイロンさんの話を聞いて、今まで沖縄方言と思っていたがユネスコで言語ということを聞いてとてもおどろきました。

沖縄大学4年生 女子
うちなー口だと思っていたものがうちなーやまとぅ口だという事を知って驚きました。私がよく聞いている言葉は、うちなーやまとぅ口だと思います。


沖縄大学4年生 男子
今日の講義では、ふぃじゃばいろんさんのうちなー口や沖縄の歴史について話しを聞きました。沖縄県の誕生日を知らないのにアメリカの誕生日は知っているという不思議な事実を知りました。


沖縄大学4年生 男子
今日は、比嘉光龍さんの話を聞いた。琉球人としてのアイデンティティの話から歴史の話まで興味深いものだった。沖縄の誕生日を誰も知らないなど沖縄の問題も見えた。


沖縄大学4年生 男子
改めて、沖縄の歴史を知ることができました。知らなかった話もたくさんあったので勉強になりました。


沖縄大学4年生 男子
 琉球の言語について興味がわいた。追記、やはり何処の音楽も皆等しく心に響く。


沖縄大学4年生 女子
私たちは、アメリカの独立記念日を知っているのに沖縄の4月4日は知らないって少し悲しいなと思いました。いつか沖縄のみんなが祝える日が来るといいなと思いました。


沖縄大学3年生 女子
私は高校の時に比嘉光龍さんの出張公演(?)講演(?)を聞いたことがあります。その時の話よりも琉球の歴史や言葉を深くわかりやすくしてくれたと思いました。とても興味深くて引きこまれてしまいました。にふぇーでーびる!!
Date: 2013/07/13(土)


96 東京女子大学講演と夜の吉祥寺での唄三線ライヴ!



上の写真は6月21日(金)東京女子大学の講演にて後半、私の演奏するかちゃーしーに乗せ生徒さん達が踊っている様子。


真ん中の写真は、同じく6月21日(金)、東京吉祥寺のライヴハウスにて唄三線ライヴ演奏を行っている様子。


下の写真は翌日6月22日(土)に埼玉県川口市にて行ったライヴの様子。




 東京女子大学にて講演を頼まれて行ってきました。その内容が女子大のウェブサイト
http://www.twcu.ac.jp/event/1362143119516.html で見られますのでご覧下さい。

女子大では「本当は多言語国家日本−琉球諸島の6つの言語、「琉球諸語」復興活動に携わって」という題目で講義をしてきました。

本当はこの講演をするということが目的で2013年6月21日(金)に東京に行きました。しかし、私のウェブサイトやfacebook、友人、知人などにはこの講演のことはほとんど宣伝していません。それは、同じ6月21日(金)の夜、武蔵野市吉祥寺のライヴハウスにて唄三線ライヴを行う予定だったからです。まずはその夜のライヴに友人、知人たちには一番に来てもらいたかったのです。ただ、そのライヴの事と大学の講演は同じ日でもあるし、大学の講演が終わった2時間後にはライヴなので、混同させてしまう恐れがありました。それに大学の講演は女子大なので、私のむさ苦しい友達に来てもらっても困るということもありました(笑)

半分冗談ですが、私の肩書「唄三線者」は近年あまり前に出ておらず、それを復活させる為に、この夜のライヴをきっかけに、また再開させようと考えていたので宣伝に相当力を入れました。お陰さまでたくさんの方に来て頂きライヴは大成功でした。

そのライヴ前の女子大の講演会ですが、琉球諸語(奄美語、国頭語、おきなわ語、宮古語、八重山語、与那国語)という言語が日本社会には存在し、日本語のみが言語だと思われているのは幻想ですということを語りました。また、講演の2日後の6月23日は沖縄県の休日「慰霊の日」にあたるので、それにまつわる「屋嘉節」という曲を唄いました。ただ、6月23日は日本軍の司令官が自決した日ですが、その後も琉球諸島では一般住民も亡くなっています。それなのに、なぜ6月23日を沖縄県の「慰霊の日」として休日にするのかという事に異論を唱える県民も多いということも述べました。

東京女子大講演では重い話しが続いたのですが、最後は無理やり「かちゃーしー」を来場者に踊らせて、何とか楽しく終わる事ができました。まあ、無理して楽しく終わらせる必要はなかったかもしれませんけれど。

そして、その後の吉祥寺での唄三線ライヴですが、最初から私は変なダジャレを言ったり、素人をステージにあげて唄を一緒に唄ったり、お客さんに意味不明な質問を投げかけたり、自由な雰囲気でやりました。お陰さまで、とても楽しくライヴを行うことが出来ました。ライヴは1時間だったのですが、ほとんど友人、知人だったので、終わってから私は楽屋に引っ込むことはせず、ずっとステージ上で来てくれた方々とゆんたく(おしゃべり)をしたり、写真撮影をしたり、初めましてと名刺交換をしたりしました。そしたら、ステージ前に私とゆんたくをしたい方が列を作り私が各お客さんと話し終るまで1時間近くも列に並んで待ってくれた方もたくさんいらっしゃいました。感謝申し上げます。女子美大の原教授に「おい、光龍、並んでる人が多いんだからもっと簡潔に話ししろよ」と怒られました(笑)

そうなんです、私はもてなしの心が強いのか何なのか分りませんが、じっくり話し込むタイプなので、一人の人と長く話ししてしまうんです。並んで私を待っていた方々、申し訳ありません。今度は気を付けて短く話し、なるべく皆さんとお話しできるように致します。

実は翌日6月22日(土)も埼玉県川口市でライヴしました。これは全くと言ってよいほど宣伝しませんでした。それは友人が川口市に多いので、その友人たちの為にやるからという理由でした。それでも友人たち以外に前日見た方がまた、この日も来てくれて本当に感謝、感激でした。私を見に来て下さった方々へ厚くお礼を申し上げます。御拝(にふぇー)でーびる。
Date: 2013/06/28(金)


95 登川誠仁先生の弟子でした

写真は、1998年9月に弟子入りして間もない頃、登川誠仁先生と。右は同じく弟子の照屋林山。




 私の唄三線の師匠である登川誠仁先生が2013年3月19日に肝不全の為80歳でお亡くなりになりました。

先生の生まれた年は昭和7年なのですが、私は本人から聞いたのか、また本か何かを見たのか忘れてしまいましたが、ずっと昭和5年の生まれだと思っていました。なぜ、こんな事を書くかというと、先生は戦後すぐ、芝居の地謡(ぢーうてー)をしていましたが、その際に同じ芝居役者や三線仲間に歳が一つでも違うと先輩風を吹かされるのが嫌で、年齢をごまかしていたそうなんです。このエピソードは昔から有名で、私も息子さんから弔問の席で誕生年を聞かされた時に「えっ、昭和5年じゃなかったの?」と思わず声をあげてしまいました。

亡くなった後も面白いエピソードが次から次へと飛び出してきそうなのが、先生のひとつの魅力だと思います。

私は昭和44年那覇生まれ、育ちは沖縄市ですが、私が二十歳ころまでは、はっきりいって沖縄音楽はあまり肯定されていない時代だったように思えます。三線を若者が弾くなんて考えられないし、ましてや琉球民謡をまともに聞くなんてありえない時代でした。今では若者が三線を弾くのは当たり前の時代かもしれませんが、琉球民謡のCDを三線練習用の曲だという目的以外で、普段の生活でカジュアルに聞いている若者はそんなに多くはないと思います。若者は皆サザンとかミスチルとかじゃないのかな?かくいう私も普段は80年代の西洋音楽を聞いています。

はい、それで私は22歳の頃にイギリスとアメリカに合わせて1年半語学留学しました。本当の目的はボン・ジョヴィなどのロックスターになろうと思っていたのです。真剣に(笑)

ただ、アメリカの犯罪の多さに辟易したのと、永住権を取ることの難しさに、夢をあきらめようかと思いはじめていました。丁度そのころ、義父が軽い交通事故を起こしたというので心配で一時帰国の形で帰りました。

帰って来たころにブームの「島唄」がヒットしていたり、りんけんバンドなどが出始めていて、我が生まれ島沖縄にも音楽があったんだと、初めて知ったのでした。そして、なぜか民謡スナックなるところに行き、唄三線の生演奏をみて「これって、ロックにも通じる音楽だ!」と体中に電気が走ったのを覚えています。

それから私の琉球民謡探索が始まりました。さらに三線もやってみたいと思い、手に取って弾いたのが24歳も終わり頃で、25歳頃から本格的に自己流で始めました。この自己流が良かったのか悪かったのか、未だに分かりませんが、その3年後登川誠仁先生のもとへ弟子入りするまで、音を聞いて三線を弾くのではなく、工工四(くんくんしー)を見ながら弾くというスタイルでやっていましたので、いつまでたってもあまり上達できませんでした。

これから三線を始める方に先生から頂いた貴重なアドバイスをここで書いておきます。

「音を聞いて耳で覚えなさい。もしどうしても工工四を見たいのだったら、一行ずつでもいいから一度見たらすぐ本は閉じて何度もそこを練習しなさい」と教わりました。あくまでも工工四は補助であり、音を耳で覚えることだと教えて頂いたことは今でも活かしています。

話しを戻すと、琉球民謡をかたっぱしから聴きまくって、その中で感動したのが先生の若い頃に出したアルバム「セイ小のカチャーシー」でした。何度聞いたか分からないほど、耳に焼きついています。このアルバムは2013年現在カセットでしか手に入らず、まだCD化されていませんが、ぜひCD化をしてもらいたい音源です。このアルバムはうちなー民謡のバイブルだといえ、千年後の人も納得する音楽だといえるでしょう。それぐらい完成度が高いのです。

まず、そもそも、すべての曲は、日本語はまったく交じっておらず、うちなーぐちのみの歌詞で歌われています。そして、三線、太鼓、口笛、囃子が基本で、1、2曲に琴を入れている程度です。つまり西洋楽器である、ギター、シンセサイザー、ドラム、ベースなどは入っていません。琉球楽器のみで演奏されているのです。これこそ、世界どこに行っても通じる、うちなーオリジナルだと言えるでしょう。

さらに、演奏ですが、ここまでの早弾きが出来る人は現在でもほとんどと言ってよいほどいないと思います。先生の弾く速さまでできる歌手を何人か知ってはいますが、唄をきちんと盛り立てるような弾き方ではなく、ただがむしゃらに早く弾く演奏なので、聞いていて居心地が良くありません。このアルバムを聞いていただければすぐに分かっていただけると思いますが、早く弾いている感じがしないのです。唄も唄いながら三線は余裕綽々で弾いているのです。ただ、その三線にあわせて一緒に弾こうとするとはじめて、とんでもなく早く弾いているというのが分かります。世間では先生のことを「天才」だといいますが、まったくもってその通りです。先生は天才だと思います。

このアルバムの最初の曲「アッチャメー小、多幸山」ですが、この曲を聞いたときに、「これはVan Halenと同じかそれ以上だ!」と興奮しました。その時に確信したのです。我が生まれ島の音楽は世界のどこの音楽と比べても遜色のないものだと。

それから、私はうちなー民謡にどんどんはまっていき、さらには短い期間ではありましたが先生のもとで唄三線を直接習うことができました。今後、ラジオやテレビなどで、うちなー民謡を解説したりすることがあると思いますが、まずは「セイ小のカチャーシー」のアルバムから紹介をすると思います。このアルバムは、うちなー民謡の基本であり、最高峰であり、金字塔だと私は世間の方に伝えたいです。

天才登川誠仁先生の「アッチャメー小、多幸山」にもし出会っていなかったら、もしかしたら、うちなーを離れてヨーロッパなどで暮らしていたかもしれません。それぐらい自分の生まれ島に誇れるものがあるのだ、ということに気づかせて下さったのが先生のこの唄三線演奏です。

初めに、私が二十歳ころまでは琉球音楽を肯定する雰囲気ではなかったと書きましたが、それが悔しいのです。なぜ、小さい頃から、ここ、うちなー社会は、自分たちの音楽であれ、文化の源である言語を、これほどまでに良くないものだとの烙印を押し、西洋音楽のみ、また日本語のみが最高のものだという風潮を作ったのか。ここに私は憤りを感じるのです。その原因は何か?24歳に三線を始めた頃から、図書館などに行き、文献や資料などを読みあさり、遂にその原因を突き止めました。

結論からいうと、我々、うちなーんちゅが自分たちの音楽や言語を否定し始める原因は、1879(明治12)年より武力による日本の直接支配が始まってからだといえます。その後、我々琉球に住む者たちは自身の文化や言語を家庭や社会で表現したり教育したりすることを制限、もしくは捨てざるをえない状況に追い込まれていくのです。

これについては、ブログ内にある随筆「光龍ぬうちなーありくり随筆」に書いてあるので読んでいただければ幸いです。

私は自分の生まれた島の文化が日本と比べても、西洋と比べてもまったく劣ることのない優れた文化が存在するのだと気づけました。いや、そもそも世界中の文化に優劣などないのです。しかし、教育の力というのは恐ろしいもので、2013年現在沖縄県では私の時代と同じように日本語のみを教え、さらに英語を週に何時間も割いて教えます。そして、音楽は西洋音楽を中心に教えるというかなり偏った教育が今でも行われているのです。

こういう偏った教育を続ける限り、我々の言語は「方言」だと思い込んでしまったり、音楽は西洋音楽が優れているものだと勘違いさせられたりするでしょう。いつになれば我々うちなーんちゅは気づいてくれるのか分かりませんが、現在の教育状況では、自分の生まれ島に誇りを持つことはかなり難しいでしょう。

西洋人、日本人になることが素晴らしく、うちなーんちゅになると劣ってしまうというような、勘違いとコンプレックスのみを植えつけられてしまうと私は思います。この他者が優れていて自分たちは劣っている式の教育を私も小中高と沖縄で受けてきましたが、こういう間違った観念を払拭するのにどれだけ時間がかかったことか。

払拭できたのは、徹底的に自分の力で琉球の歴史を確かめたからなので、私の同級生などは仕事に追われていて日々忙しく、そんな研究者のようなことはまずできません。ですから私の同級生たちのほとんどが琉球の言語は「方言」だと今でも思っているし、自身の子供たちに、生まれ島の言葉を教えるより、英語を学ばせたいと思う人が圧倒的に多いのも事実です。これこそ、間違った教育によるもので、悲しいことにそれは現在でも続いているのです。

登川誠仁先生の唄三線演奏は、私を自分の生まれ島に誇りを持たせる域まで導いて下さいました。彼の存在は、うちなーの歴史に刻まれますし、いつまでもその演奏は残り続け、影響を与え続けることでしょう。

私が世界中からうちなーぐちについての講演依頼を受けたり、うちなーぐちを教えて欲しいと頼まれるのは先生の存在があったからです。先生には感謝という言葉では足りないくらいの恩があります。

先生(しんしー)さい、御拝(にふぇー)でーびる。
Date: 2013/04/24(水)


94  千葉県女性の語る「おきなわの12の不思議」



御総様(ぐすーよー、と読む。皆様の意)。私はfacebookもやっていますのでぜひ、そちらもご覧いただきたいのですが、そこにアップしたネタが100名以上の方に「いいね」を押してもらったので、これはこのブログに載せる価値もあるかも、と思い下に掲載します。




千葉県出身26歳那覇市移住1年目の女性の語った

「おきなわの12の不思議」

突然ですが、親戚の知人女性に私が去年2012年にインタヴューしたことを記しておきたいと思いました。

おきなわ(うちなー)に来て驚いたこと、不思議なこと!


1 「服を着る」というべきところを「つける」、「はく」という不思議。

2 「そんなにすごいのに」というべきところを「あんなに〜」という。

3 バイクが千葉と比べてやたらと多い。

4 千葉と比べて外国人が多い感じ。おきなわの人は英語が普通に話せる人が多いと思う。(勘違いですけどね。バイロン談)

5 読めない漢字が多い。「北谷」「東風平」など。(千葉にもあるでしょう。我孫子市って読むの難しいぞ。バイロン談)

6 台風が祭りっぽい。皆ワクワクしている感じ。

7 千葉と比べてタクシーが安すぎ。すぐ乗ってしまう。

8 やたらと「何中出身」と聞きたがる

9 千葉と比べてスーパーなど同じ味しかない。(アイスやポテトチップスなど)

10 セブンイレブンが無いのが痛い。

11 コンビニでパンの種類が少ない。

12 千葉と比べておかしの種類が少ない。

以上です。どうぞ話のネタにでも使って下さい。
Date: 2013/04/22(月)


93 奄美大島にて沖縄大学の移動市民大学講座と琉球継承言語会にて発表

上の写真は、私の唄三線演奏に奄美民謡歌手、皆吉恵理子さんの旦那さんヤマチャンがアフリカ太鼓?で盛り上げてくれている様子です。

下の写真は、3人で会の終わりに撮りました。



2013年3月1日(金)に、奄美大島にて沖縄大学の移動市民大学講座 を奄美大島名瀬市AIAI広場2階ホールにて行いました。私の歌三線演奏も含め奄美の唄者・皆吉恵理子さんも含めた歌会プラス、クリスとハイスの漫談や東京女子美の原聖教授の基調講演など盛りだくさんの内容で行いました。

翌日、奄美の新聞社2紙が大きく取り上げてくださいました。その記事はこの私のウェブサイトの「NEWS」の項目で紹介していますのでご覧下さい。

また、奄美テレビも取材して下さって、後日30分、もしくは1時間くらいにまとめて奄美ケーブルでの放映予定だそうです。

そして光栄なことに奄美民謡の大御所「築地俊造」さんが見に来て下さっていて、思わず舞台の上から奄美民謡のことについて質問してしまいました。その模様もテレビで流れたら面白いんですけどね。

今回のこの企画は、毎年行なっている琉球継承言語会(宮良信詳琉球大学名誉教授が会長)にて私が発表をしに行くということを沖縄大学地域研究所の緒方修所長に話したら「じゃあ、その前日に何かイヴェントをやろう。そうだ移動市民大学にしてしまおう」という、軽いノリで始まったものでした。

そして、緒方所長の口利きにより、公共施設を借り、また、宣伝も奄美空港内のテレビ、そして新聞、ラジオなどでやってくれることになったのです。当日はお陰さまで大盛況でした。

本当に関係者の方々、おぼこりだりょん。ありがたさまりょうた。御拝(にふぇー)でーびる。

また、翌3月2日(土)の「琉球継承言語会」の発表では、私が予てから温めていた構想「琉球諸民謡」という新しい定義について発表しました。それもありがたいことに新聞が少し触れています。また、「琉球諸民謡」については論考を書きました。実は、それについての本が沖縄大学地域研究所編ということで出版されました。その案内も後日やりたいと思います。
Date: 2013/04/19(金)


92うちなーで旧正月も復活させましょう!旧大里村古堅にてうちなー正月を祝う

御総様(ぐすーよー、と読む。皆様という意味)。

 今年2013年は2月10日に旧暦の1月1日のお正月を迎えました。そこでそれを祝いましょうと私から旧大里村の古堅集落の元区長さんにお願いして、お宅にお邪魔させてもらって、うちなー正月(旧正月)を一緒に祝わせてもらいました。とても、とても楽しくて、いつまでも唄を唄いたかった。うちなー正月をこうやって皆でお祝いする世の中になってほしいと思います。

一緒に沖縄テレビの「ゆがふぅふぅ」に出たオランダ人で、うちなーぐちペラペラのハイスが撮影してくれました。果報しどー。

上の動画はそのダイジェスト版です。初めに「かじゃでぃ風」を元区長さんの家の仏壇の前で演奏し、そして最後は「唐船どーい」で大盛り上りというお約束で閉めました。

お祝いをしてきて思ったのですが、うちなーでは、大和正月(新正月)は1月1日のみ休んで、うちなー正月(旧正月)に1週間ほど休むというのはどうでしょう?

うちなーは日本と文化も習慣も違います。それなのになぜ日本に合わせなければならないのでしょうか?うちなーでは何百年も旧暦で生活してきました。しかしこの旧暦を祝うという習慣も、琉球諸語と同じように、日本人にならねばならないという戦前の軍国主義の一貫でほぼ失われています。

うちなーぐちを復活させるのも大切ですが、こういう、うちなーの昔からの習慣も復活させていかなければならないと感じます。皆さん、日本に属しながらでも、うちなーでは別の文化を持つという、一国二制度的な発想を持つのはどうでしょうか?そうすれば観光客がもっと増えると思うのですが…。
Date: 2013/04/18(木)


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