私の兄貴分、ジャン松元の写真展!  2011/10/14(金)
74 POTA(旧 精神科作業療法協会)全国研修会inうちな〜にて講演してきました  2011/10/09(日)
73 西原町美咲地区敬老会にて盛り上げて来ました。  2011/10/02(日)
72 沖縄県立南部医療センター・こども医療センター主催の観月会に出演  2011/09/30(月)
71 宜野湾市普天間地区ろうきん友の会にて講演  2011/09/29(木)
予定していたシンポジウムを10月29日(土)に延期します。  2011/09/15(木)
70 金武町にて子ども達へ夏休みうちなーぐち講座を行いました  2011/08/10(水)
69 アジア初のDUO開催がうちなーで行われそこで発表しました。  2011/08/07(日)


私の兄貴分、ジャン松元の写真展!

一番上は写真展の案内チラシ。
二番目の写真は、演奏中の私。
三番目の写真も同じく演奏中の私。
四番目の写真は、ジャン本人と。後ろに写っている写真はジャンが私を撮ってくれた写真で、大体2002年頃のものです。

御総様(ぐすーよー、と読む。皆様の意味)

私の兄貴分である、ジャン松元の写真展「CHAOS〜Okinawa〜母なる島ぬ風」が、那覇市安里にある最近オープンした、複合施設さいおんスクエアの1階にて開催中です。

2011年10月14日(金)〜23日(日)までですので、皆さんぜひ、足を運んで下さい。入場無料です。

私の写真もあります。彼の写真はとても独特で、世界中の人に知って貰いたいです。

彼、ジャン松元は私と同じ、「アメリカ系うちなーんちゅ(おきなわ人)」です。彼と私は同じ考えを持っていて、「ハーフ」「ダブル」「あいのこ」などの言葉をとても嫌がります。

彼とも相談しましたが、私達をここ、うちなー、日本社会でどう定義していこうかと悩んでいる時に、私が考えた「アメリカ系うちなーんちゅ」と言う言葉に真っ先に賛成してくれて、彼はインタヴューなどに答える時に、積極的に「私はアメリカ系うちなーんちゅ」と答えています。

彼の父はアメリカ人で、ベトナム戦争時に、兵士としてうちなーに来て、ジャンの母(奄美人)と知り合い、彼が生まれてすぐ両親は事情により別れてしまいました。ジャンは金武町で生まれ育ちましたが、学校は奄美で通いました。したがって私と同じく英語教育は一切受けていません。

彼も、うちなー、日本社会で顔立ちが西洋人と言う事で、色々悩まされることが多く、私も同じ悩みを持っていると言う事で、彼とその事について相談し、彼からどんなに励まされたことか。

彼は私と同じ日本国籍しか持たない、うちなーんちゅです。しかし、私と同じく、西洋人の容貌から日本人として、うちなーんちゅとして見られないことはままあります。

そういう環境で生まれ育った私達ですから、だいぶ考え方やものの見方が、一般の、うちなーんちゅや日本人とは異なります。

ですから、彼が写す写真は、日本人が、うちなーんちゅが撮るものとだいぶ変わっています。もちろん西洋人とも感性が違います。うちなーを中心にコザの写真などもありますが、彼が撮った写真は、不思議と、何人が撮ったものか分からない異次元の写真が多いです。

やはり、「アメリカ系うちなーんちゅ」でしか撮れない、不思議な世界があるのでしょう。

皆さん、ぜひ、ジャン松元の世界に触れて見て下さい。
Date: 2011/10/14(金)


74 POTA(旧 精神科作業療法協会)全国研修会inうちな〜にて講演してきました


一番上の写真は、講演前に題字の横にて。
二番目の写真は、講演中に参加者に質問をして、会場を縦横に歩きまわっている様子。
三番目の写真は、講演の最中だんだん力が入って来ている様子。
一番下の写真は、最後に私のカチャーシー。朝11時なのにみな踊ってくれた。


全国の作業療法士さん達の研修会が、ここ、うちなーで開かれると言うことで、私にうちなー文化について語ってほしいと、講演を依頼されました。

その前に、御総様(ぐすーよーと読む。皆様の意味)、作業療法士という職業を知っていますか?

日本作業療法士協会の定義によると「身体又は精神に障害のある者、またはそれが予測される者に対し、その主体的な生活の獲得を図るため、諸機能の回復、維持及び開発を促す作業活動を用いて、治療、指導及び援助を行うこと」とあります。

うーん良く分りません。私が講演を頼まれたのはその作業療法士の中でも、特に精神科の患者さんへ対応する方々が集まるPOTA(旧 精神科作業療法協会)のメンバーからでした。

3番目の写真の後ろに写っている、県内のPOTAの会長である比嘉さんに、作業療法士の仕事の内容を聞きましたが、いまいち、良く分かりませんでした。すみません。むちかさいびん。

この作業療法士さん達の研修会は47都道府県持ち回りで、今年はたまたま、うちなーになったとのことでした。

ですから、他府県からも結構いらっしゃっていて、二番目の写真に写っている、私から見て右側に座っていらっしゃるのは、すべて他府県の方々です。なぜ、そう言えるかというと、講演を始める前に私が席替えをお願いしました。

私の講演は少し変わっていて、受講している方に良く質問を投げかけることをします。その際に、他府県の方に、こちらが当然だと思うこと(例えばへちまを食べることなど)を話したり、金武町は私の実母の出身地ですなどということを言っても分らないでしょうから、うちなー生まれ育ちの方と分けて座ってもらうことを良くします。

今回の講演では、普段あまり深く語らない、私の生い立ちや、私が常日頃から主張している私自身を定義する「アメリカ系うちなーんちゅ」のことなども話しました。

今回の講演を直接頼んでくれた仲地さんが講演終了後、「鳥肌が立った」と言ってくれたのが印象的です。私にとっては当たり前の人生が、他人には当たり前ではないのでしょうね。

日本には日本人だけではなく、在日の方や、アイヌ、琉球、はたまた私のような「アメリカ系うちなーんちゅ」も住んでいます。その方々が当たり前にカミングアウトできる社会を願っていますし、多人種社会の日本は良いことだというイメージを作るために、私もできることをどんどんやっていきたいと今回の講演で思いました。
Date: 2011/10/09(日)


73 西原町美咲地区敬老会にて盛り上げて来ました。

写真上は、私のゆんたくに答えている老人会のメンバーの様子です。

写真下は、私の演奏するカチャーシーに乗せて踊る区長さんや老人会長さんたち。



うちなー(おきなわ)島、中部の東海岸沿いの西原町にある、美咲区の敬老会を頼まれたので行ってきました。

ほとんどが60代以上の方々で、うちなーぐちは日常当たり前に使っている方が多かったので、とても楽しくゆんたく(おしゃべり)と唄三線の演奏をする事ができました。

こういう敬老会や、老人会などでは、楽しい事、面白い事が望まれます。ですから、ゆんたくをする時には始終ふざけた事を言いまくっています。それが受けまくり、お年寄りは大爆笑です。

お年寄りは特に難しい話しをするとすぐに白けてしまいます。

そういう事ですので、講演会や講義などで見せるまじめな顔とは別の、漫談家のような光龍がこういう場面では登場します。

ただし、こういう漫談家のような光龍の本領が発揮されるのはお年寄りの多い所のみです。

それは、なぜかと言うと、やはり、うちなーぐちを私は流暢に話すからでしょう。私は生きたうちなーぐちを話し、私の先生、真喜志康忠氏の独特の語り口を真似ているからです。

真喜志康忠先生の芝居を、車を運転する時は必ずと言ってよいほどBGMとして流しています。ゴルファーの石川なんとか選手の英語のリスニング教材ではないのですが、そんな感じで常に私は、本物のうちなーぐちをいつも聞いています。

この、美咲区の敬老会では、すべて、うちなーぐちのみでやりました。大受けでした。とても楽しかったし、何と言えば良いのか、うちなーという国に行き、そこでうちなーんちゅと共に語って来た感じがします。

これが、20代や30代などの若者には、うちなーぐちを講義する分には問題はないのですが、公演や演奏などをする時には、かなりきついです。私のゆんたくが通用しないのです。つまり、うちなーぐちを若者達は解さないので、どこかインドネシアかフィリピンの言語で話されている感じがするのでしょう、きょとんとしています。

それでも、何とか日本語でも受ける話もしますが、やはり、うちなーぐちで語るのが得意なので、日本語でゆんたくすると、第二外国語を無理して使っている感じがしてなにかすっきりしません。

寂しい、、、

後10年、20年以内に、うちなーぐちを復活させて、私のジョークを分ってもらえる世の中にせねば、と、またまた強く思いました。
Date: 2011/10/02(日)


72 沖縄県立南部医療センター・こども医療センター主催の観月会に出演

上の写真は、私が演奏の合間にゆんたく(トーク)をしている様子です。会場は病院の横にあるベランダを無理やり舞台にしたててあるので、舞台らしいものがなく、ライトもないので、私の姿がはっきり見えないんですよ。

下の写真は、祭り会場に来てくださっている方々の様子です。私の演奏を見ている所です。



9月30日に、南風原町新川にある沖縄県立南部医療センター・こども医療センター主催の観月会があり、そこで30分ほど演奏を頼まれたので行ってきました。

南部医療センターはこども医療センターも兼ねているので、入院患者さんも多い病院です。思いっきり、唄を唄ったり、三線をかきならしたのですが、だいじょうぶだったか心配です。

毎年行っているそうなので、多分問題はなかったと思います。私の演奏の後に同じ新川地区の青年会のゑいさーがあり、それはもっとうるさかったので、かえって病気の悪い気を追い払う儀式になったかもしれませんね。

入院なさっているみなさんの早い回復を願っています。

ああ、びっくりしたのが私のうちなーぐち講座の受講生だったおばさんが耳に異変があり2、3日検査入院していて、その際、病院内の貼紙を見て私の出演があると知ったそうで、終わってから、その生徒さんに「先生が来るって知ったので待っていたサー」と言われ驚きました。

こんな時には何て答えれば良いのでしょう。

喜んで良いのやら、何と答えて良いのやら、複雑な気分でした。
Date: 2011/09/30(月)


71 宜野湾市普天間地区ろうきん友の会にて講演


写真上は、私の唄う「浜千鳥(ちじゅやー)」で踊ってくれている様子です。いらっしゃっていた方に呼び掛けをしたら、即応じて下さいました。うちなーでは60代以上の方ならば、頼めば誰か必ず、琉球舞踊を踊れる方がいるんですよ。

真ん中と下の両方の写真は、最後に私の弾くカチャーシーに乗せて即興踊りである「アッチャメー」を踊ってくれている様子です。みなさんやる気まんまん、大爆発です。



元の宜野湾市中央公民館館長だった、宮城さんから「私の入っている普天間地区ろうきん友の会で講演やってくれないかね」、と67歳にもなられる方なのに、メールの講演依頼がきました。

二つ返事で引き受けたのですが、講演する場所が面白い所でした。

何と、宜野湾市にあるボウリング場の2階にあるカフェでとの事でした。

貸し切りにしてもらっていたので、問題はなかったのですが、普段は静かに雑誌を読んで食事をする所なのに、私がマイクを使いゆんたく(トーク)をし、また、三線をかきならし、挙句の果ては、みなで踊まくるという、このカフェでは絶対にあり得ないことを、昼の1時にやりました。

みな、大盛り上がりで、楽しい午後のひと時でした。

ただ、この、「ろうきん友の会」というのが、今いち良くわからないのですが。

とにかく楽しく講演出来ました。御拝(にふぇー)でーびる。
Date: 2011/09/29(木)


予定していたシンポジウムを10月29日(土)に延期します。
2011年9月17日(土曜日)午後1時から、沖縄大学にて「琉球諸語の復興を目指して」という題で行われる予定のシンポジウムを、台風接近の為、10月29日(土)に延期いたします。

開催時間、場所などは同じですので、皆さん申し訳ありませんが、10月29日にお越しいただけるよう、よろしくお願いいたします。

Date: 2011/09/15(木)


70 金武町にて子ども達へ夏休みうちなーぐち講座を行いました


写真は、私の唄三線の演奏にのせてこども達が「てぃんさぐぬ花(うちなー童謡)」を歌っている様子です。



4年前くらいに夏休みにこどもたちへうちなーぐちを教えてあげて、と私の親戚のお姉さんが勤める金武町中央公民館から依頼があり、それを今年もやることになりました。

8月10日の午前中2時間でしたが、私は4回、つまり4年に分けてやっているのでようやく力の抜き具合が分かるようになりました。

対象は小学2年生から6年生までで、うちなーぐちを教えるうんぬんの前に先生のお話を聞きましょうという所から始めなければいけません。

何年か前までは私はこども達の言う事をきかない態度に業を煮やし、「早く座りなさい!」とか、「こっちに集まって!」とか、「静かにしなさい!」などと叫びまくっていました。

しかし、子ども達は叫べば叫ぶほど、言う事を聞かなくなるし、私自身もノドが疲れるし、どうやって教えて良いのかとにかく疲労困憊でした。

そう悩んでいて、本職が教員の私の妻に相談すると「暴れまわる子がいるなら授業をそこで中断すればいいさ。その子が落ち着くまで気長に待ってみれば」という目からうろこアドヴァイスが功を奏して、その言葉を聞いてからはどこで子ども達に教えても、ノー、ストレスになりました。

今はやりのカロリーゼロ、ノンカロリーじゃないですけど、ストレスフリーになりました。

そうなんですね。学校教育の中でそれをやると予定している科目の授業時数が足りなくなったりして毎回は難しいのかもしれませんが、私の行う、うちなーぐち講座は義務ではなく任意なので、教える項目が少なくなったとしても、それはこども達が言う事を聞かなかった、静かに出来なかったから、とそれで済まされるのです。

ですから、毎度のように、今回もこどもたちは散々騒ぎまくっていました。私が用意してきた資料も半分しか出来ませんでした。

それはそれで良いでしょう。

こども達にはこども達のペースがあるのですから、しいてまで高圧的に「座れ!黙れ!静かにしろ!」と言わなくても良いと思います。

時間はかかりますが5〜6分するとこども達同士で注意しあって「しー!」とか言い合って可愛かったです。

なんか、本格的に学校に行ってうーまく(わんぱく)相手に教えたいなと思いました(笑)

Date: 2011/08/10(水)


69 アジア初のDUO開催がうちなーで行われそこで発表しました。



上から三枚は写真です。

一枚目の写真は、左が琉球大学政治学教授の島袋純さんで、真ん中私の右側は、沖縄キリスト教学院大学英語講師の新垣友子さん。

二枚目の写真は、三人それぞれの発表が終わった後に会場からの質疑応答を楽しくやっているところ。

三枚目の写真は、最後に10分ほど唄三線の演奏を行なっている様子です。


そして4番目は動画です。日本で一番発行部数の多い英字新聞「Japan Times」の記者、Jon Mitchellさんが、私が歌う様子を撮ってくれたものです。



Dialogue Under Occupation (DUO)「占領下における対話」という国際会議が2011年8月4日から8日にかけて行われる予定だったのですが、台風の為延期になり、私の予定した日も中止になりましたが、予定日の翌日、8月7日(日)の午後5時に急きょ行いました。

この会議は 第1回 米国(シカゴ)、第2回 イスラエル、第3回 コロンビア、第4回 米国(ワシントンDC)と行われており、今回、第5回目は、ここうちなーにて、またアジアでは初の会議になります。

私のNEWSの項目にチラシも掲載してありますが、この会議について主催者側が伝えるところによると

「第5回会議 では、占領下にある地域において、その地域についての情報を共有し理解を深めることに焦点を当てています。「占領下における対話(DUO V) )は、占領される側である力の弱い者が、どのような方法、形であれ他からの占領を甘受するものではなく、自らの生き方、自らの幸福の追求において自身で決定する能力を含め、万人にも平等な、人としての基本的人権を保持していることを占領者側に認めさせようという努力への意思を表すものです。占領下ではこれら基本的人権が占領する側とされる側との力の格差によって奪われているのです。占領下での対話の結果として、占領される者が占領の状況に声を上げ、これまでの不正が正される環境が形成されれば本学会は成功したと言えるでしょう。」

とコメントしています。

この会議の中心は、米軍が犯した罪について糾弾する内容がほとんどですが、その中に、うちなーでは、文化的にも抑圧を受けているので、それについて語ってくれないかと主催者側の依頼があったので参加しました。

米軍は基地でうちなーを支配、抑圧しているのは事実ですが、文化面に関しては、アメリカではなく、日本に抑圧されているので、少し他の方たちとは温度差があるように感じました。

簡単に発表した内容を述べますが、私と新垣友子さんは「琉球諸語」は方言ではない、という事を言い、島袋純さんはヨーロッパ、特にイギリスの中のスコットランドは自治権がかなり与えられていて、英語と違う言語である、スコットランド・ゲール語は教育予算を独自に取って教えているという事について発表してもらいました。

最後に質疑応答で、私は「島袋純さんから最近聞いたことですが、琉球諸語は方言か言語かという論争は言語学者が決めるものではなく、政治が決めるものだといわれ目からうろこでした」と発表しました。

つまり、日本の大多数の言語学者は「琉球諸語」を方言としたいのです。これを言語と認めてしまうと、今迄築いてきた自分たちの学問がくずれてしまうし、政治的にも分裂してしまう恐れもあるし、また文科省などから圧力がかかる恐れもあるし、とにかく面倒な事に巻き込まれてしまう可能性がとても高いのです。

それならば、過去の学説を支持し、今の地位を維持しておく事にやっきになるのも無理からぬことでしょう。

琉球諸語はユネスコも認めているれっきとした言語ですが、それを日本の学者たちや世間にきちんと把握させるには、政治がきちんと「言語である」と定めなければならないと思います。

それはすなわち法律などを作り「琉球諸語」を義務教育化するだとか、政治や経済などで何パーセントか使わなければ法律違反にするだとか、何かしら法的に推し進める事も同時にやらなければ、いつまでたっても変わらないと思います。


そして、その会議で発言もさせていただきましたが、うちなー民謡「恋ぬ花」も唄いました。ただし、この会議に合う歌詞を自身で作詞しました。歌詞を紹介します。

アミリカとぅ大和(やまとぅ)
 うぬ間(いぇだ)ぬうちな
  戦寄(いくさゆ)しらりてぃ
    くだみらりてぃ

歌意・アメリカと日本の間にある、我がうちなー(おきなわ)は、アメリカと日本の戦争に巻き込まれてしまった。そして今でも基地は存続し騒音被害や人権侵害など我々は踏みつけられたままだ。

絶望的な歌詞に思えるかもしれませんが、これが現状だと言えるでしょう。米軍基地は今後もずっと私の故郷に置かれ続けるのでしょうか。もしかすると米軍基地があるから中国も、北朝鮮も、攻めてこないかもしれません。しかし、米軍基地がなくなり、さらに自衛隊もなくなり、軍隊の無い島になったらという夢は持ちたいです。

ただ、米軍も、自衛隊もいなくなったら、本当に平和のままでいられるのだろうか?

どうすれば、軍隊がいなくても、どの国も攻めてこないような島にできるのだろうか?

戦争をするための軍隊などいらない、という理想論も大切だと思う。しかし、警察がなくなったら、やりたい放題の社会になってしまうのと一緒で、軍隊がなくなったら、秩序がなくなり、どこの国が攻めてくるか分からないというのが2013年現在の世界の現状でもあるだろう。

うーん悩んでしまいます。うちなーんちゅ(おきなわ人)みんなでこの問題は考えていきましょう。
Date: 2011/08/07(日)


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