78 那覇市文化テンブス館にて修学旅行生に、珍しく三線も教えました。  2011/10/19(水)
77 那覇市古波蔵の児童館主催「にこにこうんどうかい」に、なぜかゲスト出演!?  2011/10/17(月)
76 第5回世界のウチナーンチュ大会関連、那覇市主催の歓迎会の司会を頼まれました。  2011/10/14(金)
私の兄貴分、ジャン松元の写真展!  2011/10/14(金)
74 POTA(旧 精神科作業療法協会)全国研修会inうちな〜にて講演してきました  2011/10/09(日)
73 西原町美咲地区敬老会にて盛り上げて来ました。  2011/10/02(日)
72 沖縄県立南部医療センター・こども医療センター主催の観月会に出演  2011/09/30(月)
71 宜野湾市普天間地区ろうきん友の会にて講演  2011/09/29(木)


78 那覇市文化テンブス館にて修学旅行生に、珍しく三線も教えました。

写真上は、講義の前半部分、うちなーぐち講座の様子です。
真ん中の写真は、講義の後半、三線教室の様子です。
下の写真は、三線の爪はこうやって使うんだよと教えている様子。



那覇市にある文化テンブス館で、修学旅行生相手にうちなーぐち講座を教えることはよくありますので、それについてはブログにアップするまでもないのですが、今回はそれだけではなく、珍しく三線も教えたので、少し紹介してみたいと思います。

私の三線歴はもうかれこれ18年くらいになります。さらにプロとしてもやっていますので、三線を教える事もできますが、ほとんど教えてはいません。なぜかというと、私は琉球民謡、もしくは琉球古典音楽の協会に属していないということが大きな理由です。

だからといって、どこの流派にも属さず、我流で教えている方はたくさんいますので、別に協会に属さなくてもよいのでは、という意見もあります。確かにそうでしょう。ただ、私は三線を教えるからには、その生徒さん達が上達することを考えなくてはならないと思うのです。

私が今まで体験したなかで、三線を上達させる一番よい方法は、やはり、人前で発表をすることに尽きると思うのです。これだけはどんなに練習をしても身につけることができないのです。

ですから、お弟子さんに上達してもらいたいと思うのならば、ぜひ、成果発表をさせる必要があるでしょう。その際、属している団体が大きければ大きいほど、市民会館クラスのホールを借りて、成果発表の場を作ってあげることができるという大きな長所があります。

今回はたまたま、うちなーぐちを教えているのは知っているが、三線も後半部分で教えることはできないかと頼まれたので引きうけて見ました。

そうしたら意外に面白かったです。体験教室的なものなら教えることをもっと積極的にアピールしてもよいかも!と思いました。

三線体験教室という形ならば、体験した人が、三線を本格的に習ってみたいと思い、それが三線人口の向上に繋がればと思うので大歓迎です。

御総様(ぐすーよー)、三線体験教室ぬ講師以来ん、ゆたさるぐとぅ(よろしく)うにげーさびら(お願いします)。
Date: 2011/10/19(水)


77 那覇市古波蔵の児童館主催「にこにこうんどうかい」に、なぜかゲスト出演!?


上の写真は、自由気ままにゆんたく(トーク)をしている模様です。

下の写真は、ピントはずれていますけど、唯一とってもらった写真のなかで私のうしろにある「にこにこうんどうかい」の題字が見えるので掲載しました。



那覇市古波蔵の児童館館長さんから直接電話があり、「月曜日の午前中に乳幼児対象の運動会するから、その中で唄三線の演奏とトークをお願いできないねー」と言われ、スケジュールが空いていたので軽い気持ちで引き受けました。

何が何だか良く分からずその日行くと、「ドンドンドン!はい白組がんばれ」「ワーーー!」「キャーーー!」と、乳幼児達が1階の古波蔵ふれあい館の屋内にて走ったり、飛び回ったり、パン食い競争などをしていました。

運動会に流すような音楽もかかり本格的な感じでやっていて、私があぜんとして見ていると、館長さんが息を切らして私の元にかけつけてきて「後、15分くらいで終るから声かけますね」と言って、またすぐに戻ってしまいました。

一階のふれあい館は結構せまくて、私が待機する場所がないので、一旦外にでて、三線を持って階段のそばに立っていたら、宅急便の人などが出入りしてきたので、居づらくなり、結局駐車場まで行き自分の車のなかで三線を少し弾き、腕ならしをしていました。そうしたら、ジロジロ見られて、車の中も居づらくなり、どうしようかなと思った頃に、「バイロンさん、お願いします」と言われました。

でも、こどもたちどころか、親御さんたちも、また、その家族ではないのですが老人会のおばあちゃんたちも、「えっ、運動会は終わりじゃないの」という顔をしている時に私が三線を持って登場です。

「はいさい、初みてぃやーさい、今日や、はねーかさびんどー(やあ、初めまして、今日は盛り上げるぞ)」と私がすべてうちなーぐちで言うと、もう口をポカンと開けていました。

「何が始まるの?」という雰囲気の中で無理やりバイロンショーを運動会の後に始めたのですが、「館長さん、事前にお知らせしていなかったのね、この雰囲気で始めるんかい」と突っ込みを入れたかったのですが、もう始まればこっちのものです。冗談を交えながら、こども向けの童謡を唄い、最後はカチャーシーで盛り上げました。

下の写真を見てもらうと分りますが、マイクスタンドという器用なものはもちろん用意されていなく、最後のカチャーシーは職員の女性が直接マイクを私の口元に当ててくれました。

私がマイクに口を近づけると、この職員の女性は親切心からでしょう、口元からマイクを離すのです。私はマイクに声を拾ってもらおうと必死に口をマイクに近づけるのですが、この女性は口にマイクをぶつけてはいけないと思い私の口からまたさらにマイクを遠ざけたのです。そうしたら私はもっと必死になりマイクに口元をと、気が付いたら私の腰は前に70度くらい曲がり、私は、このふれあい館の床に向けて叫び続けたのです。頼むよ、もう少し気をきかせてくれよと終わった後に言うと、皆、大笑いでした。唄唄てぃ、をぅたたん(唄を唄って疲れた)。
Date: 2011/10/17(月)


76 第5回世界のウチナーンチュ大会関連、那覇市主催の歓迎会の司会を頼まれました。

一番上の写真は、歓迎会の様子を会場後方から撮った様子です。
二番目の写真は、一番参加者の多かったブラジルのうちなーんちゅ達から話しを聞いている様子。200人ほど来ていました。
三番目の写真は、次に参加者の多かったアメリカからの参加者。150人近くいました。
一番下の写真は、私のカチャーシー(カチャーシーとは弾き唄う曲の事で、それに乗せて踊ることを本来は「あっちゃめー」と言う)で、参加者、総勢500人が狂喜乱舞している状態です。



 第5回世界のウチナーンチュ大会が今年2011年10月12日(水)〜16日(日)までの5日間、県内各地で催されました。県が主体となり行う開会と閉会の式典もありますが、各市町村が行う歓迎会などの催しもあり、どこに行けばよいのか分らないぐらい各種多彩な催しが行われました。

その中で、県庁所在地でもある一番大きな那覇市でも、海外の移民の方がたくさん戻っていらっしゃるので歓迎会を行おうということになり、私が、うちなーぐちを使うと喜んでくれるだろうとのことで司会を頼まれました。

場所は那覇市内にあるロワジールホテルで、ブラジルからの参加者200人と、アメリカとハワイを合せた150人、そしてイギリスからも20人弱、ドイツから2人など、その親戚縁者も駆け付け、総勢500人の参加者で盛り上がりました。

最初に那覇市長挨拶から始まり、余興には創作ゑいさーや空手の演武などもあり、盛り上がりました。

その後、移民した方々を舞台に上げて紹介すると皆さん大喜びでした。2番目の写真を見てもらうと分りますが、ブラジルの国旗を掲げたブラジルからの参加者たちで、おそらく県内の市町村中一番多いであろうブラジル移民者の子孫たちです。日本語を使える人たちもいますが、ほとんどがポルトガル語のみという方で、身振り手振りで交流をしていました。その中で代表の方に私が話しを聞き会場の皆さんに紹介しました。

上の3番目の写真にもある、ブラジルの次に人数の多いアメリカからの参加者達ですが、私が「カリフォルニアからの参加者は手をあげて!」と言ったら、「テキサスも紹介して」と言われ、「はい、じゃあテキサスも!」と言ったら、「ユタ州も!」「サウスカロライナ州も!」「ニューヨークも!」などと収拾がつかなくなるぐらい、アメリカ各地からの参加者が多くびっくりしました。カリフォルニア州からの参加者がほとんどだと思っていた私の考えは間違っていました、御無礼(ぐぶりー)さびたん(失礼いたしましたの意味)。

ユタ州の方を紹介する時に「うんじょーユタ?(おたくはユタ?)三世相(さんじんそう)やあいびらんどーやー(易者ではありませんよね?)」という高度なジョークを言った時に、笑ってくれる方も多かったので安心しました。

最後はカチャーシーも私一人で唄い演奏し盛り上げました。私は司会、カチャーシーの演奏、また、お笑い、と一人三役をこなし、最後には私を直接頼んでくれた那覇市職員の方に「今日はバイロンショーでしたよ」と言われました。

司会を頼まれても、元来、宴会好きなので、進行をするだけではおさまらない光龍でござりまする。御無礼さびたん。世界ぬ御総様(ぐすーよー、と読む。皆様の意味)、又ん御行合拝なびら(またんうぃーちぇーをぅがなびら、と読む。また、お会いしたしましょうという意味)。
Date: 2011/10/14(金)


私の兄貴分、ジャン松元の写真展!

一番上は写真展の案内チラシ。
二番目の写真は、演奏中の私。
三番目の写真も同じく演奏中の私。
四番目の写真は、ジャン本人と。後ろに写っている写真はジャンが私を撮ってくれた写真で、大体2002年頃のものです。

御総様(ぐすーよー、と読む。皆様の意味)

私の兄貴分である、ジャン松元の写真展「CHAOS〜Okinawa〜母なる島ぬ風」が、那覇市安里にある最近オープンした、複合施設さいおんスクエアの1階にて開催中です。

2011年10月14日(金)〜23日(日)までですので、皆さんぜひ、足を運んで下さい。入場無料です。

私の写真もあります。彼の写真はとても独特で、世界中の人に知って貰いたいです。

彼、ジャン松元は私と同じ、「アメリカ系うちなーんちゅ(おきなわ人)」です。彼と私は同じ考えを持っていて、「ハーフ」「ダブル」「あいのこ」などの言葉をとても嫌がります。

彼とも相談しましたが、私達をここ、うちなー、日本社会でどう定義していこうかと悩んでいる時に、私が考えた「アメリカ系うちなーんちゅ」と言う言葉に真っ先に賛成してくれて、彼はインタヴューなどに答える時に、積極的に「私はアメリカ系うちなーんちゅ」と答えています。

彼の父はアメリカ人で、ベトナム戦争時に、兵士としてうちなーに来て、ジャンの母(奄美人)と知り合い、彼が生まれてすぐ両親は事情により別れてしまいました。ジャンは金武町で生まれ育ちましたが、学校は奄美で通いました。したがって私と同じく英語教育は一切受けていません。

彼も、うちなー、日本社会で顔立ちが西洋人と言う事で、色々悩まされることが多く、私も同じ悩みを持っていると言う事で、彼とその事について相談し、彼からどんなに励まされたことか。

彼は私と同じ日本国籍しか持たない、うちなーんちゅです。しかし、私と同じく、西洋人の容貌から日本人として、うちなーんちゅとして見られないことはままあります。

そういう環境で生まれ育った私達ですから、だいぶ考え方やものの見方が、一般の、うちなーんちゅや日本人とは異なります。

ですから、彼が写す写真は、日本人が、うちなーんちゅが撮るものとだいぶ変わっています。もちろん西洋人とも感性が違います。うちなーを中心にコザの写真などもありますが、彼が撮った写真は、不思議と、何人が撮ったものか分からない異次元の写真が多いです。

やはり、「アメリカ系うちなーんちゅ」でしか撮れない、不思議な世界があるのでしょう。

皆さん、ぜひ、ジャン松元の世界に触れて見て下さい。
Date: 2011/10/14(金)


74 POTA(旧 精神科作業療法協会)全国研修会inうちな〜にて講演してきました


一番上の写真は、講演前に題字の横にて。
二番目の写真は、講演中に参加者に質問をして、会場を縦横に歩きまわっている様子。
三番目の写真は、講演の最中だんだん力が入って来ている様子。
一番下の写真は、最後に私のカチャーシー。朝11時なのにみな踊ってくれた。


全国の作業療法士さん達の研修会が、ここ、うちなーで開かれると言うことで、私にうちなー文化について語ってほしいと、講演を依頼されました。

その前に、御総様(ぐすーよーと読む。皆様の意味)、作業療法士という職業を知っていますか?

日本作業療法士協会の定義によると「身体又は精神に障害のある者、またはそれが予測される者に対し、その主体的な生活の獲得を図るため、諸機能の回復、維持及び開発を促す作業活動を用いて、治療、指導及び援助を行うこと」とあります。

うーん良く分りません。私が講演を頼まれたのはその作業療法士の中でも、特に精神科の患者さんへ対応する方々が集まるPOTA(旧 精神科作業療法協会)のメンバーからでした。

3番目の写真の後ろに写っている、県内のPOTAの会長である比嘉さんに、作業療法士の仕事の内容を聞きましたが、いまいち、良く分かりませんでした。すみません。むちかさいびん。

この作業療法士さん達の研修会は47都道府県持ち回りで、今年はたまたま、うちなーになったとのことでした。

ですから、他府県からも結構いらっしゃっていて、二番目の写真に写っている、私から見て右側に座っていらっしゃるのは、すべて他府県の方々です。なぜ、そう言えるかというと、講演を始める前に私が席替えをお願いしました。

私の講演は少し変わっていて、受講している方に良く質問を投げかけることをします。その際に、他府県の方に、こちらが当然だと思うこと(例えばへちまを食べることなど)を話したり、金武町は私の実母の出身地ですなどということを言っても分らないでしょうから、うちなー生まれ育ちの方と分けて座ってもらうことを良くします。

今回の講演では、普段あまり深く語らない、私の生い立ちや、私が常日頃から主張している私自身を定義する「アメリカ系うちなーんちゅ」のことなども話しました。

今回の講演を直接頼んでくれた仲地さんが講演終了後、「鳥肌が立った」と言ってくれたのが印象的です。私にとっては当たり前の人生が、他人には当たり前ではないのでしょうね。

日本には日本人だけではなく、在日の方や、アイヌ、琉球、はたまた私のような「アメリカ系うちなーんちゅ」も住んでいます。その方々が当たり前にカミングアウトできる社会を願っていますし、多人種社会の日本は良いことだというイメージを作るために、私もできることをどんどんやっていきたいと今回の講演で思いました。
Date: 2011/10/09(日)


73 西原町美咲地区敬老会にて盛り上げて来ました。

写真上は、私のゆんたくに答えている老人会のメンバーの様子です。

写真下は、私の演奏するカチャーシーに乗せて踊る区長さんや老人会長さんたち。



うちなー(おきなわ)島、中部の東海岸沿いの西原町にある、美咲区の敬老会を頼まれたので行ってきました。

ほとんどが60代以上の方々で、うちなーぐちは日常当たり前に使っている方が多かったので、とても楽しくゆんたく(おしゃべり)と唄三線の演奏をする事ができました。

こういう敬老会や、老人会などでは、楽しい事、面白い事が望まれます。ですから、ゆんたくをする時には始終ふざけた事を言いまくっています。それが受けまくり、お年寄りは大爆笑です。

お年寄りは特に難しい話しをするとすぐに白けてしまいます。

そういう事ですので、講演会や講義などで見せるまじめな顔とは別の、漫談家のような光龍がこういう場面では登場します。

ただし、こういう漫談家のような光龍の本領が発揮されるのはお年寄りの多い所のみです。

それは、なぜかと言うと、やはり、うちなーぐちを私は流暢に話すからでしょう。私は生きたうちなーぐちを話し、私の先生、真喜志康忠氏の独特の語り口を真似ているからです。

真喜志康忠先生の芝居を、車を運転する時は必ずと言ってよいほどBGMとして流しています。ゴルファーの石川なんとか選手の英語のリスニング教材ではないのですが、そんな感じで常に私は、本物のうちなーぐちをいつも聞いています。

この、美咲区の敬老会では、すべて、うちなーぐちのみでやりました。大受けでした。とても楽しかったし、何と言えば良いのか、うちなーという国に行き、そこでうちなーんちゅと共に語って来た感じがします。

これが、20代や30代などの若者には、うちなーぐちを講義する分には問題はないのですが、公演や演奏などをする時には、かなりきついです。私のゆんたくが通用しないのです。つまり、うちなーぐちを若者達は解さないので、どこかインドネシアかフィリピンの言語で話されている感じがするのでしょう、きょとんとしています。

それでも、何とか日本語でも受ける話もしますが、やはり、うちなーぐちで語るのが得意なので、日本語でゆんたくすると、第二外国語を無理して使っている感じがしてなにかすっきりしません。

寂しい、、、

後10年、20年以内に、うちなーぐちを復活させて、私のジョークを分ってもらえる世の中にせねば、と、またまた強く思いました。
Date: 2011/10/02(日)


72 沖縄県立南部医療センター・こども医療センター主催の観月会に出演

上の写真は、私が演奏の合間にゆんたく(トーク)をしている様子です。会場は病院の横にあるベランダを無理やり舞台にしたててあるので、舞台らしいものがなく、ライトもないので、私の姿がはっきり見えないんですよ。

下の写真は、祭り会場に来てくださっている方々の様子です。私の演奏を見ている所です。



9月30日に、南風原町新川にある沖縄県立南部医療センター・こども医療センター主催の観月会があり、そこで30分ほど演奏を頼まれたので行ってきました。

南部医療センターはこども医療センターも兼ねているので、入院患者さんも多い病院です。思いっきり、唄を唄ったり、三線をかきならしたのですが、だいじょうぶだったか心配です。

毎年行っているそうなので、多分問題はなかったと思います。私の演奏の後に同じ新川地区の青年会のゑいさーがあり、それはもっとうるさかったので、かえって病気の悪い気を追い払う儀式になったかもしれませんね。

入院なさっているみなさんの早い回復を願っています。

ああ、びっくりしたのが私のうちなーぐち講座の受講生だったおばさんが耳に異変があり2、3日検査入院していて、その際、病院内の貼紙を見て私の出演があると知ったそうで、終わってから、その生徒さんに「先生が来るって知ったので待っていたサー」と言われ驚きました。

こんな時には何て答えれば良いのでしょう。

喜んで良いのやら、何と答えて良いのやら、複雑な気分でした。
Date: 2011/09/30(月)


71 宜野湾市普天間地区ろうきん友の会にて講演


写真上は、私の唄う「浜千鳥(ちじゅやー)」で踊ってくれている様子です。いらっしゃっていた方に呼び掛けをしたら、即応じて下さいました。うちなーでは60代以上の方ならば、頼めば誰か必ず、琉球舞踊を踊れる方がいるんですよ。

真ん中と下の両方の写真は、最後に私の弾くカチャーシーに乗せて即興踊りである「アッチャメー」を踊ってくれている様子です。みなさんやる気まんまん、大爆発です。



元の宜野湾市中央公民館館長だった、宮城さんから「私の入っている普天間地区ろうきん友の会で講演やってくれないかね」、と67歳にもなられる方なのに、メールの講演依頼がきました。

二つ返事で引き受けたのですが、講演する場所が面白い所でした。

何と、宜野湾市にあるボウリング場の2階にあるカフェでとの事でした。

貸し切りにしてもらっていたので、問題はなかったのですが、普段は静かに雑誌を読んで食事をする所なのに、私がマイクを使いゆんたく(トーク)をし、また、三線をかきならし、挙句の果ては、みなで踊まくるという、このカフェでは絶対にあり得ないことを、昼の1時にやりました。

みな、大盛り上がりで、楽しい午後のひと時でした。

ただ、この、「ろうきん友の会」というのが、今いち良くわからないのですが。

とにかく楽しく講演出来ました。御拝(にふぇー)でーびる。
Date: 2011/09/29(木)


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