60 沖縄県西原町中央公民館にて「文教のまち学園」の開講式講演  2011/06/14(火)
59 お笑い芸人サンドウィッチマン主催東日本震災支援ライブを那覇で見ました。  2011/04/09(土)
58 第三回琉球諸島の継承言語研究シンポジウムが東京であり参加しました。  2011/03/06(日)
57 うちなー正月!今日、うちなーは1月1日元日です。  2011/02/03(木)
56 遅ればせながら去年2010年12月那覇市内の高校での講演  2011/01/12(水)
55 ハワイんかい行じ来びたんの2 衝撃!ハワイ語のみで教える学校  2010/12/27(月)
54 ハワイんかい行じ来びたんの1 衝撃!ハワイ語のみで教える学校  2010/12/26(日)
53 ハワイんかい行じ来びたん─.魯錺じ譴両ι  2010/12/25(土)


60 沖縄県西原町中央公民館にて「文教のまち学園」の開講式講演

上の写真は舞台上で一曲歌い終わった後に皆に曲の説明をしている所。

下の写真は途中から舞台下におりて講演し、最後にカチャーシーを弾き唄い盛り上げているところ。



2011年6月14日(火)の午前中10時〜12時まで、西原町中央公民館主催「文教のまち学園」の開講式で講演を頼まれたので行ってきました。

「文教のまち学園」って何?と思う方がほとんどでしょう。実は老人向けの高齢者学級の事です。この高齢者学級とは大体60歳の定年を迎えた方から80代くらいまでの方が対象で、まれに90代の方もいらっしゃいます。

他府県はよく分かりませんが、県内市町村では必ずと言ってよいほど中央公民館などが開催しており、「老人大学」とも呼ばれています。

この高齢者学級は大体月に一回の6回講座とか、月に2回の12回講座、また月に1回の10回講座などと、市町村により開催される時期や回数は変りますが、ほとんどの県内市町村では毎年実施されています。

私はうちなーぐちは話せるし、唄三線も出来ると言う事で良く呼ばれて行きます。

60歳以上の方が中心なので、うちなーぐちのみでやっても問題はなく。かえって喜ばれます。

私にとっては言葉が通じないストレスがないのでとても楽しいし、自由自在に言いたい放題うちなーぐちが使えるし、うちなーぐちでしか伝えられない笑いなども即理解してもらうので本当にやっていて心地よいです。

これが、私達同年代、もしくは後輩たちしかいない場所でやると、うちなーぐちはあまり通じないので何か異国の人に語りかけるようで寂しい限りです。

さて、西原町では「老人大学」という名称は用いずに「文教のまち学園」と呼ぶようです。

まあ、各市町村によって色々な呼び方があるとは思いますが、西原町では月に2回の全10回講座をやるそうで、開講式は私が務めさせていただきましたが、次回2回目は平和ミニコンサートと銘打ち県内の歌手、海勢頭豊さんを招き歌の鑑賞をするとの事でした。

その他にも3回目は管理栄養士の先生を招き「食事と健康について」の講和を聞き、4回目は空手の先生を招き「歴史物語と空手演舞」を見るなど、老人が喜びそうな内容の講座を無料で町民に提供しています。

御胴(うんじゅ)なーたー島んかい、来(ちゃー)びー事(くとぅ)、我ん呼(ゆ)でぃ呉(くぃ)みそーりよー。

西原ぬ御総様、いっぺー御拝(にふぇー)でーびる。
Date: 2011/06/14(火)


59 お笑い芸人サンドウィッチマン主催東日本震災支援ライブを那覇で見ました。

2011年4月9日(土)の東日本震災支援ライブのポスターと、那覇市立体育館にて入場を待つお客さん。その中に私も後姿ですが立って並んでいます。


2011年3月11日に未曽有の大震災が起こりました。それについて書きたいことは山ほどあるのですが、書きはじめたら止まらなくなりますので、何時か別の機会に譲りたいと思います。

私の妻は山形県出身ですが、両親、親戚皆無事でした。しかし、大学は宮城県でしたので、宮城県の友人には避難所生活を余儀なくされた方もいて、10日ぶりに髪を洗ったというメールが妻に届き、胸が痛くなりました。

そして、何か支援できる事はと思い、義援金をあちらこちらの募金箱に入れてはいましたが、私の好きなお笑い芸人たちがチャリティーライブを沖縄でやるというのをテレビで知り、これも支援の一環になればと思い、早速チケットを買い見に行ってきました。

実は私、結構お笑いが好きで、「アメトーク」「踊るさんま御殿」「ダウンタウンDX」は、ほぼ毎週予約してテレビでみています。

そして色々なお笑い芸人の中で一番好きなのは、M1で敗者復活戦から勝ち上がり優勝をなしとげた「サンドウィッチマン」です。

彼らは宮城県出身という事で、妻と同じ東北という事もあり応援していました。その彼らが那覇市立体育館にて他にも多数のお笑い芸人とチャリティーライブを行ったのです。

会場はほぼ満員で、お笑いを生で見るのは初めてでした。

ライブですが、最初に狩野英孝を出したのは正解だと思います。会場は興奮していて何を見ても最初の30分は喜ぶでしょう。彼は舞台から降り客席に入っていきました。「どうか私の側にこないでくれ」と私は願いました。それでも近くに来て歌を歌いましたが、私の側にはこないで舞台に戻ってくれたのでホッとしました。

そして、夜にテレビの生放送がありすぐ帰らなければいけないとの事で、サンドウィッチマンは2番目に登場しました。かなり面白かったのですが、危ない言葉を会場にたくさん来ている中高生の前で吐いたのにはちょっとヒヤヒヤしました。

そしてU字工事ですが、うーん今いち沖縄の中高生には受けていませんでした。しかも沖縄にはないファミレス「サイゼリヤ」の話題ではちんぷんかんぷんだったようです。

その後は「響」でしたが、私は面白かったです。一番厳しかったのが「テル」さんですね。知名度が低いのもあるでしょうが、老人向けのネタをやりすべりまくっていました。でも、出演した芸人の中ではパワーポイントなども使っていて、ネタも良く練られていましたので、個人的には一番頑張っているように見えました。ただ、中高生が会場には多かったのできつかったかも。

なぜか一番受けていたのが「東京03」でした。同じネタを何と7、8回やり、単純なものが好きな会場の中高生は一番喜んでいました。

その後、「Wコロン」の登場で、ねずっちが謎かけのお題を会場から募り、皆手を挙げて「はい、はい、はい」と会場の中高生は興奮していました。これって半分仮面ライダーショーなどを見に来ている感覚と同じじゃないでしょうか。

そして意外と面白かったのがトリを務めた「マギー審司」。テレビでマジックネタは結構大変かもしれませんが、生ライブでのマジックはただ立って漫才をするだけのお笑いよりは変化があり面白いですね。

テレビと生のライブの違いというのが浮き彫りになり、私にはとても勉強になりました。

笑って東日本震災の義援金をおくるというのは申し訳ない気もしますが、こういう形で何か少しでも役に立てたのなら幸いです。
Date: 2011/04/09(土)


58 第三回琉球諸島の継承言語研究シンポジウムが東京であり参加しました。


一番上の写真の右に写っている方は、この「琉球継承言語会」(Ryukyuan Heritage Languages Society)の会長でもあり、琉球大学教授でもある宮良信詳氏。左は関西学院大学教授ジョー・デキキス氏。

二番目の写真は、群馬県立女子大専任講師、下地理則(しもじ みちのり)氏。彼は宮古島の言語「宮古語」の文法書を800ページも書いた宮古語のホープ。彼によって宮古語は救われたと行っても過言ではなく、方言文法書は今まであったが「宮古語」を言語として扱い文法書を書いたのは歴史上恐らく彼が初めてでしょう。

三番目の写真手前は私だが、その隣横にいるのが杉田優子さんで現在ドイツのポツダム大学にいらっしゃり、杉田さんの隣横、眼鏡をかけている方が安藤由夏さんで、同じくドイツのデュースブルク・エッセン大学から。2人ともこのシンポの為にわざわざドイツからはるばるいらっしゃったのです。

四番目の写真ですが、ハワイ大学ヒロ校から大原由美子さん。彼女もわざわざハワイからこのシンポの為にいらっしゃいました。


今年で3回目になる「琉球諸島の継承言語研究シンポジウム」ですが、2011年3月4日、5日の2日間にわたり、関西学院大学(東京サテライト・キャンパス)にて行われました。

2009年2月にユネスコ(国連教育科学文化機関)が、日本には日本語以外に8つの言語があり、それらは危機言語であると報じたニュースはご存じの方もいらっしゃるとは思いますが、まだまだ一般的ではありません。

それについての詳細は朝日新聞のウェブサイト

http://www.asahi.com/shimbun/nie/kiji/kiji/20090302.html にてご覧ください。

日本語以外の8つの言語とは、アイヌ語、そして八丈島の言語、八丈語で、残り6つの言語が琉球諸島にあります。

北から、奄美語、国頭語、おきなわ語、宮古語、八重山語、与那国語です。

これらを総称し「琉球語」とも言いますが、この語は一つの言語しかないという誤解を招きやすいので、琉球諸語(りゅうきゅうしょご)と呼ぼうと、私も加入している「琉球継承言語会」は社会に提唱しています。

琉球諸語のメンバー全員がこれら6つの言語は方言ではなく言語だという事について異存は無いのですが、この6つの言語の下位区分にある言葉については、方言として言い表す以外はないのではないかという事で面白い討論になりました。

私は、パトリック・ハインリッヒ氏(獨協大学准教授)の提唱する「方言」ではなく「変種」と呼ぼうという考えに賛成で、これを支持していますが、メンバーの多数は「変種」という言葉には違和感を覚える方が多く、議論は紛糾しました。

ハインリッヒ氏の考えだと、例えば「おきなわ語」を構成する言葉、「首里」「那覇」などの言葉を従来の「首里方言」「那覇方言」とはせずに「首里変種」「那覇変種」と呼ぶのが良いという提案なのです。

うちなーぐちでは、言語は「くち」、方言は「言葉」といいますので、「首里言葉」「那覇言葉」と書きます。

いずれにせよ「方言」という言葉は無くしても良いというハインリッヒ氏の意見には私も賛成ですが、これについてはもう少し時間が必要かもしれません。

他にもたくさんの発表や意見交換がありとても有意義な二日間でした。

「琉球継承言語会」の詳細は

http://patrickheinrich.info/ryukyuan_heritage_language_society

でご覧ください。
Date: 2011/03/06(日)


57 うちなー正月!今日、うちなーは1月1日元日です。

上は、私が今年の干支である「ウサギ」について詠んだ琉歌です。これをうちなーぐち講座の生徒さん達に配り、この琉歌にのせて、かじゃでぃ風を生演奏します。




御総様、良(ゐー)、正月(そーぐゎち)でーびる!



今日、2011年2月3日は、うちなーぬ暦、つまり旧暦(Lunar Calendar)では1月1日になります。

ウエルカルチャースクールにて過去に教えていた生徒さんが現在、ベトナムのハノイにて日本語教師として活動しているのですが、「良、正月でーびる」というメールを今朝送ったら、ベトナムも旧暦でお正月を祝うそうで、今日は国民の祝日なのだと返事が来ました。

旧正月が国の休日となっているのは、中国が有名ですよね。したがって香港も、もちろん含まれ、そして、うちなーのお隣台湾も、また韓国も北朝鮮も、そしてベトナムに、シンガポールとマレーシア、インドネシア、ブルネイ、モンゴルなど、もう日本以外東南アジアのほとんどの国が今日はお正月としてお祝いするんですよ。

おーい、うちなー、どうなっているの?

実は、1972年に日本になるまでは、うちなーは、旧正月が主流だったのです。それが1972年以降はどんどん日本化が進み、現在うちなー正月を祝うのは2割にも満たないと思われます。

うちなーぐちの衰退と、旧正月を祝わない事は大いに関係するでしょう。

うちなーぐちというのはただの言葉ではなく、文化である、こういったお正月や清明祭などの行事や、衣、食、住と密接に関わっていると言えるでしょう。

今日、「うちなー正月だよ」と言ったら、「えっ今日なの?」と驚くうちなーんちゅ(おきなわ人)はとても多いと思います。

それぐらいうちなーは日本化が進んでいるのです。

私は是非うちなー正月を復活させたいと思ってはいますが、新暦のお正月をやめようとは言いません。

だって、ここまで新暦が浸透してしまっているのにやめようと言ったら反発されるのは間違いないでしょう。

ですから妥協案を考えました。

2回お正月を祝うのです。

えー、お金がかかるー!と色々な人に言われました。

ですからこういう案はどうでしょうか。

まず新暦のお正月は1月1日元日のみ、官公庁舎に民間企業、学校など、すべて休みにする。

この日、親戚は集まらず、特にお祝いらしいお祝いはしない。もちろんお年玉もまだあげない。

そして、翌日の1月2日から官公庁舎、学校などもすべて普通通り出勤、出校する。

えー、と思う方もいると思いますが、これは受験生をお持ちの方ならばとても良い事なのです。1月1日のみしか休まなければ、その分、受験勉強が他府県より多く割け、センター試験まで勉強一直線で官公庁舎、学校はうちなーの受験生を応援できるのです。

そうすると優秀な人材が出てくること間違いなし。

安易かな?

しかしですよ、その新暦は1月1日のたった一日だけ休む代わりに、旧暦の1月1日は大みそか前ぐらいから5、6日くらいまで一週間以上休み、そして親戚も集まり、お年玉も旧正月であげる。と、本格的に祝うのは旧正月にする。

そうすれば、うちなーの祖先とも繋がるし、東南アジアのほとんどの国とお正月気分を分かち合い、うちなーんちゅがますますアジア圏と深く付き合えるようになり、本来の琉球文化を大切にする心が養われると私は思うのです。

うちなーだけが特例をなんて言わないでくださいね。アメリカの州の法律や、イギリスの連邦を形成しているスコットランド、ウェールズ、北アイルランドなどは、もう県というより国と言えるほどの権利を持っているのです。

なぜ、欧米諸国に見習い我がうちなーは出来ない?


如何(ちゃー)でーびるがやー?
(いかがでしょうか?)
Date: 2011/02/03(木)


56 遅ればせながら去年2010年12月那覇市内の高校での講演

上の3枚の写真は高校生たちに講演をしている様子。「うちなーぐちトークコンサート」と銘打ち、校長先生が直々に書いてくれました。




御総様(ぐすーよー)

良(ゐー)大和(やまとぅ)正月(そーぐゎち)でーびる。


直訳すると「皆さま、良い日本正月でございます」となります。

普通は「良、正月でーびる」で、大和の文字は入れませんが、うちなー正月は来月2月3日なので、あえて大和と文字を入れました。

そうです、うちなーでは本来、旧正月なのです。今は8割方、大和正月になってしまっていますが、せめて半々までに復活させたいものです。

御総様、うちなー正月ぬ事ん、ゆたさるぐとぅ、考てぃ呉みそーり。


さて、本題ですが、実は去年、と言っても先月ですが、12月の後半に、那覇市内のある高校にて講演を行って来ました。

ある高校と書いたのは、高校名を出す事や、さらに、生徒たちが写っている写真などをブログや雑誌に掲載する際には、校長先生はもちろんの事、父母会、つまりPTAにもお伺いをたててからでないとまずいと言われているからです。

私の書く、このブログにて掲載許可を得ることは、ほぼOKだと先生方はおっしゃっていましたが、取りあえず許可を得るまで少し待って下さいとの事だったのです。

それで、年が明けた2011年1月の今日まで、この講演会の掲載許可を得て載せるかどうか悩んでいました。

悩んだ結果、掲載許可を得ることはやめにしました。

なぜかと言うと、今はOKだと言っても、今後このブログを発見した親御さんたちや関係者が、これはまずいと言われる可能性があるかもしれないと私は判断したからです。

なんだか世知辛い世の中ですね、と言いたいのですが、個人情報を守らなければいけない時代ですから、当然と言えば当然でしょう。

ですから、那覇市内の高校としかここでは書いていないし、また写真も私の姿のみ確認出来るものを公開しています。

これなら許可を得なくても大丈夫ですよね?

まあ、関係者や生徒たちが見れば「あっうちの高校だ!」と直ぐ分かるとは思いますが。この文章や写真だけではまず一般の人では特定不能でしょう。

これで、もしクレームがついたら、もう土下座します。

これぐらいは掲載させて下さい。お願いですから。

なんだか、怪しい文章になってきましたが、私は立派なうちなー文化講演をやってきたのだと最後に書いておきます。

もうひとつ付け加えるならば、この高校の関係者の方に講演会が終わって何日か後に聞いた話ですが、生徒たちはとても喜んでいて、今でも私の話題が出るとのことでした。

うれピー。

御拝(にふぇー)でーびる。
Date: 2011/01/12(水)


55 ハワイんかい行じ来びたんの2 衝撃!ハワイ語のみで教える学校

一番上の写真は、ナーヴァヒー校内にある保育所で、ハワイ語のおゆうぎを教えている様子。

二番目の写真は、ナーヴァヒー校内にある幼稚園で、先生のおはなしを聞く生徒達。

三番目の写真は、ナーヴァヒー校内にある小学校低学年の子達へ教える様子。何と先生は日本人です。

四番目の写真は、ナーヴァヒー校内にある小学校高学年の子達へ教えている様子ですが、小学校も高学年になると段々習っている事が高度になっていくのが教科書や雰囲気で見て取れました。


ナーヴァヒー校は、保育所、幼稚園、小学校、中学校、高校すべてを、ハワイ語で教育するという学校で、こういう風にひとつの言語ですべての教科を教える事を「没入法(Total Immersion)」と言います。

そして、没入法を導入している学校の事を、「イマージョンスクール(Immersion School)」と言います。

聞きなれない言葉だと思いますが、この「イマージョンスクール」は、うちなーぐちなど、日本における少数言語を復活させる為には欠かせない教育法の一つですので、ぜひ覚えていただきたいです。

ハワイ州の人口ですが、2010年度の統計では136万人、沖縄県は同じ2010年度では139万人と、ほぼ同じ人口です。

しかし、ハワイの先住民の人口は総人口の約10%、13万6千人で、人口のほぼ95パーセント以上が琉球人である沖縄県と比べると、沖縄の10分の1の人口しかいないのにも関わらず、ハワイ語の言語復興活動はかなり盛んです。

また、上で紹介したイマージョンスクールですが、ハワイ州全体で約30近くあり、生徒総数が2006年の統計では2000人います。

ここで、我がうちなーと比べてみましょう。

イマージョンスクールどころか、現在のうちなーでは、うちなーぐちは「方言」扱いです。うちなーぐちを言語だと考え、それを、日本語を除きすべて、うちなーぐちのみで教える学校を作るというアイディアは、今のところまったく聞いたことがありません。

私はこの学校を見学させていただいてとても有難かったのですが、うちなーの現実と比べるとあまりのギャップに胸が苦しくなりました。

ただ、落ち込んでいても前に進みません。私が生きている内に必ず、うちなーぐちのイマージョンスクールを誕生させる、それが私の使命だとも感じた短い旅でした。
Date: 2010/12/27(月)


54 ハワイんかい行じ来びたんの1 衝撃!ハワイ語のみで教える学校

一番上の写真は、ハワイ島ヒロ市の郊外にあるハワイ語イマージョン校・ナーヴァヒーオカラニオープウ校
(Ke Kulá O Nāwahi(-) okalan’i o(-) p'uu 略称ナーヴァヒー校)を正面から撮った写真。

二番目の写真は、ナーヴァヒー校の全校生徒の前で、うちなーぐちでお礼を述べている所。

三番目の写真は、ナーヴァヒー校内にある生徒へのお知らせ掲示板。すべてハワイ語で書かれている。

四番目の写真は、私を含めた言語学者達一行を、ナーヴァヒー校上級生達が、校内を案内してくれている様子。ここはハワイ語で書かれた図書が置かれている図書室。


今回のハワイ行きで一番の衝撃です。

ハワイ島ヒロにある、ナーヴァヒー校(ハワイ語のみで教える保育・幼小中高一貫校)を午前中見学させていただきました。

そのナーヴァヒー校をアルファベットで表記したいのですが、ハワイ語には「オキナ」というアポストロフィに似た濁点「‘」と、カハコーという文字の上に棒線を付ける「‐」があり、それを私のパソコンでは、きちんと表記できません。

頑張ってナーヴァヒー校の正式名称「Ke Kulá O Nāwahi(-) okalan’i o(-) p'uu」を、アルファベットで書きましたが、この表記は完全ではありませんのでご容赦下さい。

さて、そのナーヴァヒー校の朝礼から参加させていただき、全校生徒に最初にチャント(chant 唱歌)を唄っていただき先生から歓迎の挨拶も受けました。

その挨拶はすべてハワイ語ですのでまったく意味は分かりませんが、これも儀式だと思えば何か心地よく感じました。

その後に、ぜひ、うちなーぐちで相手が分からなくても良いから何か述べて下さいと言われたので、「今日ぬ誇らしゃや(きゆぬふくらしゃや) 何にじゃな譬る(なをぅにじゃなたてぃる) 蕾でぃ居る花ぬ(つぃぶでぃをぅるはなぬ) 露行会た如(つぃゆちゃたぐとぅ)」と、「かじゃでぃ風(琉球古典音楽)」で使われる歌詞を短く節をつけ詠みあげ、その後、3分ほどうちなーぐちで挨拶を述べました。

その中でうちなーぐちの挨拶を理解出来たのは私の妻だけで、その場にいた生徒や私達の一行を含めた100人以上の人達は、ただただ、まったく意味不明の言語、うちなーぐちを聞いているという状況でした。

それでも、お互いの言語で挨拶を述べあう事が大切と言われたので、これは今後、うちなーぐちのみで教育を行う学校が出来た時に、世界中から来る視察団に対してできる、良い交流の仕方だなと思いました。

この朝礼は結構長く40分くらいかかったと思います。

これだけでも十分に私にとっては衝撃でした。

ハワイ州はアメリカ合衆国の50番目の州でありアメリカです。

当たり前の事ですが、アメリカ人は英語を学び話します。

しかし、ここ、ナーヴァヒー校ではハワイ語を教え話します。校内はアメリカではなくハワイという独立した空間なのです。

入口をはいるとどこの学校でも掲示板があると思いますが、上の写真にある通り英語の掲示物はなく、すべてハワイ語で表記されています。

また、私達を案内してくれた上級生は英語で説明してくれましたが、校内に入る際にはなるべく英語は使わないようにして下さいと最初に注意を受けました。

上の写真にもある通り図書室もあり、ハワイ語の図書も取り揃えてありました。

の2に続く。

Date: 2010/12/26(日)


53 ハワイんかい行じ来びたん─.魯錺じ譴両ι

一番上の写真は、ハワイ島ヒロのスーパーにて、ハワイのミネラルウォーター「MENEHUNE」。これを購入しホテルでも飲んでいました。

二番目の写真は、同じくヒロのスーパーにて、MAUNA LOAというハワイ島の活火山名をブランド名にしたもので、この商品はクッキーです。このMAUNA LOAは日本でも手に入るようです。

三番目の写真は、ALOHA印のジュースです。「ALOHA」は、うちなーぐちで例えるなら「ハイサイ」に近いと思います。ベタすぎる名ですね。

四番目の写真は、カウアイ、ラナイ、マウイとハワイの島々の名を冠したホットソースです。


今回のハワイ行きは、ハワイ大学から招聘された事もそうですが、ハワイ語の復興を学んで、うちなーぐちの復興に役立てて欲しいという思いもあったと私は解釈しています。

ですから、ハワイ語のイマージョンスクール(すべてハワイ語で教える学校)も見学させてもらいましたが、一般的にはどういう風にハワイ語が浸透しているのか興味があって、色々ハワイで観察してみました。

まず、ハワイのケーブルテレビですが、ハワイ語のみでやっているテレビ番組もありました。

また、繁華街などの看板ですが、これも目立ってハワイ語で書かれたものが多いと言うほどではありませんでした。

そして、スーパーなどでハワイ語を使った商品はないかと、スーパーの店員さんにたずねたら、色々探してくれましたが、そんなに多くはありませんでした。

それでも、少しあるなかで写真を撮らせていただいたので、上に掲載してみました。

うーん、商品に関してはうちなーとどっこいどっこいかもしれません。

ただ、ハワイ語復興に関してはものすごい勢いですので次回で書きます。

Date: 2010/12/25(土)


現行ログ/ [1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10]
キーワードスペースで区切って複数指定可能 OR  AND

比嘉光龍オフィシャルサイト

018952
[TOP]
shiromuku(u2)DIARY version 2.71