52 ハワイんかい行じ来びたんА.魯錺づ隋Big Island)ハワイ大学ヒロ(Hilo)校にて講演  2010/12/24(金)
51 ハワイんかい行じ来びたんΑ_縄タイムスWeb版に掲載  2010/12/23(木)
50 ハワイんかい行じ来びたん(ハワイに行って来ました)イ裡魁 峅弾瓩茵次彳芦  2010/12/22(水)
49 ハワイんかい行じ来びたん(ハワイに行って来ました)イ裡押仝龍トーク動画  2010/12/21(火)
48 ハワイんかい行じ来びたん(ハワイに行って来ました)イ裡院ヾ攅餝悒札鵐拭爾砲  2010/12/20(月)
47 ハワイんかい行じ来びたん(ハワイに行って来ました)い裡粥.チャーシー動画   2010/12/19(日)
46 ハワイんかい行じ来びたん(ハワイに行って来ました)い裡魁”誉蘢察覆舛犬紊筺次貌芦  2010/12/18(土)
45 ハワイんかい行じ来びたん(ハワイに行って来ました)い裡押仝龍トークの動画  2010/12/17(金)


52 ハワイんかい行じ来びたんА.魯錺づ隋Big Island)ハワイ大学ヒロ(Hilo)校にて講演

一番上の写真は、ハワイ島にあるハワイ大学ヒロ校にてパトリック・ハインリッッヒ氏が講演している様子。

二番目の写真は、同じく講演する、マティアス・ブレンツィンガー氏。

三番目の写真は、私。

最初に滞在したハワイ州都であるホノルルを擁するオアフ島から、今度は通称ビッグアイランドとも言われ、ハワイ州の名称にもなっているハワイ島に行きました。

少しややこしいのですが、通常ハワイに行ったと言えばホノルルを擁するオアフ島の事を指す事が多いと思いますが、オアフ島ほど人口もいないし、観光客も訪れないのですが、ここハワイ島はカメハメハ大王の生誕地でもあり、ハワイと言う名の発祥の地でもあり、またハワイ州全体のなかで最大の面積を誇るという特徴もありますので、皆さん、オアフ島と勘違いしないで下さいね。

さて、ハワイ島にヒロ(Hilo)という都市がありそこにハワイ大学のヒロ校もあります。そこでも講演を行ってきました。

オアフ島マノア校でもやったのと同じ内容で、最初にパトリック・ハインリッヒ氏、そしてマティアス・ブレンツィンガー氏、最後に私のゆんたくと唄三線という内容でした。

会場にはうちなーんちゅも来てくださって、最後は私がカチャーシーを弾き盛り上がりました。

その模様も動画でアップしましたので下でご覧ください。


Date: 2010/12/24(金)


51 ハワイんかい行じ来びたんΑ_縄タイムスWeb版に掲載

写真は、ハワイ州オアフ島にあるハワイ大学マノア校内の「Center for Korean Studies Auditorium 韓国学センター講堂」で講演している様子。私の日本語を通訳してくれているのはうちなーんちゅと日本人の間にハワイで生まれ育った「Eric Wada(エリック・和多)」。この後、私の弾く「加那よー」も踊って下さり、どれだけ彼に助けられたことか。エリック、御拝(にふぇー)でーびる。




さて、この講演を見に来てくれていた、うちなーんちゅの留学生がいました。その女性は知花愛実さんです。彼女は沖縄タイムスのハワイ通信員でもあり、この講演を取材もしてくれました。その記事が沖縄タイムスのWeb版に掲載されています。

http://www.okinawatimes.co.jp/article/2010-11-15_12055/

で見られますので、ぜひご覧ください。

その内容を少し下記に抜粋すると

アメリカ系ウチナーンチュのウチナーグチ講師として知られる比嘉さんは琉球王国の歴史を紹介。「沖縄の歴史を振り返ることでウチナーグチが方言ではなく、言語だと認識されるきっかけになるのではないか」と話した。

と書いてくれました。

私の事を「アメリカ系うちなーんちゅ」と書いてくれて、御拝(にふぇー)でーびる。

「ハーフ」だとか、「ダブル」、はては「アメラジアン」などと色々な言葉で定義される私ですが、この「アメリカ系うちなーんちゅ」という言葉を私は作り、この言葉で私を呼んでもらいたいと社会に提案しています。

まあ、本当は、ただ、比嘉光龍(ふぃじゃ ばいろん)とだけ呼ばれるのが一番ですが、私の顔は、どこから見ても西洋人なので(米国人の父の血が入っているから当たり前ですけど)どうしても社会では、うちなーんちゅとだけ言ってもいぶかしげに思われるという現実があります。

それならば人から「ハーフ」だの「トーフ」だのと言われるならばと思い、「アメリカ系うちなーんちゅ」と言う言葉を作りました。

そのきっかけはオバマ大統領です。

彼は「アフリカ系アメリカ人」ですよね。

その他にも私の好きな「ロバート・デ・ニーロ」と「アル・パチーノ」の二人は「イタリア系アメリカ人」です。

ですから、その反対で、私の父は米国人なので、私の事は「アメリカ系うちなーんちゅ」と呼んで下さい。

この方が分かりやすいと思います、「ハーフ」だとか「トーフ」よりは。
Date: 2010/12/23(木)


50 ハワイんかい行じ来びたん(ハワイに行って来ました)イ裡魁 峅弾瓩茵次彳芦



2010年11月5日に行った、オアフ島ハワイ大学マノア校内にある「Center for Korean Studies Auditorium 韓国学センター講堂」にて撮った動画です。

おきなわ系アメリカ人のNorman・金城が、三線の演奏で私の補助をしてくれました。

そして、同じくハワイ生まれ育ちで、日本とおきなわ人の間に生まれた、Eric・和多が「加那よー」の踊りを踊ってくれました。

その前日、11月4日に行ったオアフ島ワイパフの「ハワイ沖縄センター」では、Eric・和多は「浜千鳥(ちじゅやー)」も踊ってくれましたが、この「加那よー」もとても素晴らしい踊りを披露してくれました。
Date: 2010/12/22(水)


49 ハワイんかい行じ来びたん(ハワイに行って来ました)イ裡押仝龍トーク動画



ハワイでの公演ですが、その2日目に行った、オアフ島ハワイ大学マノア校内の「Center for Korean Studies Auditorium 韓国学センター講堂」にて撮った動画を掲載しました。

うちなー民謡で舞踊曲でもある「加那よー」を、この説明の後に演奏するのですが、曲の説明を面白おかしくやりました。

そうしたら皆、大爆笑です。

何でかな?

多分、学術的な雰囲気漂う場所で面白いことを言ったからかもしれません。

まあ、見て下さい。
Date: 2010/12/21(火)


48 ハワイんかい行じ来びたん(ハワイに行って来ました)イ裡院ヾ攅餝悒札鵐拭爾砲

一番上の写真は、ハワイ州オアフ島にあるハワイ大学マノア校の中にある「Center for Korean Studies Auditorium 韓国学センター講堂」の入り口から取った写真です。


二番目の写真は手前左から「大原由美子(おはら ゆみこ)」ハワイ大学ヒロ校准教授、真ん中の銀髪の男性はドイツのケルン大学教授「Matthias Brenzinger(マティアス・ブレンツィンガー)」で、その右にいてカメラ目線の男性が「Patrick Heinrich(パトリック・ハインリッヒ)」獨協大学准教授です。この3人が私の前にそれぞれの研究成果を発表し、その後、最後に私が発表しました。


3番目の写真は「大原由美子(おはら ゆみこ)」ハワイ大学ヒロ校准教授の発表している模様。



さて、ハワイへ行って来ましたと言う意味の「ハワイんかい行じ来びたん」という題で書いていますが、最初のイヴェントは11月4日に「ハワイ沖縄センター」にてうちなーから移民として渡った方やハワイオアフ島在住のうちなーんちゅなどを対象に講演を行いました。

その翌日の11月5日は、ハワイ大学マノア校にて主に学者や生徒たち向けの研究発表で、その中で私の簡単な「琉球諸語の言語地図」を使った説明と、唄三線ゆんたく(おしゃべり)の両方をやりました。

その内容ですが「言語弾圧イデオロギーの克服」という題で、ハワイ大学マノア校
沖縄学センター講義シリーズの一環でした。

そして「Byron Fija(バイロン フィジャ)」、私が発表したのは、

「"Uchinaaguchi is not a Dialect"うちなーぐちは方言ではない!」という内容の講演です。

これらは全て無料で行いました。場所はマノア校内にある「Center for Korean Studies Auditorium 韓国学センター講堂」という所で、一番上の写真がその外観です。

その模様については動画もありますのでそちらも見て下さいね。
Date: 2010/12/20(月)


47 ハワイんかい行じ来びたん(ハワイに行って来ました)い裡粥.チャーシー動画 


(写真は、講演が終わった後に、記念撮影をしている様子。右から、ハインリッヒ氏、ブレンツィンガー氏、そして日本系の二世なのですが奥さんが沖縄系という縁で現在ハワイ沖縄連合の会長を務めている、ポール古明地(こめいじ)氏、そして我ん。)



2010年11月4日にオアフ島ワイパフにある「ハワイ沖縄センター」にて私が公演した際に撮影したもので最後にカチャーシーを弾いて、それに応じて会場の皆さんが踊ってくれている様子です。

もちろんほぼ大半がアメリカ人ですが、その中にはうちなー系アメリカ人や日系アメリカ人、そして白人、またうちなーからハワイに移住して10年、もしくは20年ぐらいの方などなど、色々な方がいらっしゃっていました。

うぃーりきさいびーたん(嬉しかったです)

皆が踊っている模様をご覧くだされ。





Date: 2010/12/19(日)


46 ハワイんかい行じ来びたん(ハワイに行って来ました)い裡魁”誉蘢察覆舛犬紊筺次貌芦





2010年11月4日にオアフ島ワイパフにある「ハワイ沖縄センター」にて撮影した模様を、写真や動画などでUpしましたが、もうひとつどうしてもUpしたいのがこの「浜千鳥(ちじゅやー)」という唄です。

「ちじゅやー」は作詞作曲者不明、正真正銘のうちなー民謡ですが、この唄はうちなーんちゅのブルースだと言えるでしょう。

歌詞は民謡ですから本来は定まってはいませんが、明治時代にこの唄に踊りを振りつけた為に歌詞が固定されてしまいました。

しかし、固定されてしまったがゆえに、3番までの歌詞はあたかも昔から唄われてきた歌詞のように広く知れ渡って行きました。


まず、1番ですが、

旅や浜宿い(旅は浜に宿り)
 
草ぬ葉どぅ枕(草の葉を枕に)

寝てぃん忘ららん(寝ても忘れられない)

我やぬ御側(故郷にいる親兄弟のもと)



そして2番を唄う時に私はいつも感傷的になるのですが、こういう歌詞です。


旅宿ぬ寝覚み(旅宿での目覚め)

枕すばだてぃてぃ(枕をそばだてて)

覚出すさ昔(思い出すのは昔)

夜半ぬ辛さ(夜半の辛さ)



そして3番が

渡海や隔みてぃん(海を遠くへだてていても)

照る月や一ち(照る月は一つしかない)

あまん眺みゆら(愛しい方も眺めているだろう)

今宵ぬ空や(今宵の空を)



という歌詞です。

4番もありますが、この3つの歌詞と繋がりが薄いので私は唄うのを遠慮しています。

この歌詞を読んで皆さんどう思いましたか?


ハワイで戦前、戦後、最近まで、移民をした、うちなーんちゅは本当に苦労した方が多かったと聞いています。

ただ、人々に伝わるのはハワイで成功した、儲かったなどという事がほとんどでしょう。

しかし、その陰でどれだけの人が嘆き苦しみ、悲しんで生きてきたことでしょう。

ハワイに戦前、戦後移住したうちなーんちゅは苦しい時にきっとこの唄を口ずさんだはずです。

私はハワイに行くのは初めてだったのですが、うちなーんちゅが苦労した歴史を少し学んでいたので、この「ハワイ沖縄センター」に集まって下さったたくさんのうちなーんちゅを前にして、何か深いものを感じました。

そして、舞台で太鼓を叩いてくれている「キース仲兼久」、また、魂を込めて踊ってくれている「エリック和多」の2人はそれぞれうちなー系のアメリカ人です。

彼らの親や祖父母たちはとても苦労してハワイの地で生きてきているのです。

彼らの助けを借りているからか分かりませんが、この動画を見ると涙が出てきます。

そして、見ていただければ分かりますが、誰かが最初から最後まで私と一緒に唄を口ずさんでくれています。

その方は勝連町出身の八十代になる男性ですが、車椅子に乗ってわざわざ会場に駆けつけて下さったのです。

実はこの方とは前日にもお会いしたのですが、まさかこの日来てくださるとは思ってもみませんでした。

最後に「したいさい!なとーん(したり!よくやった)」と興奮気味に私にエールを送って下さいました。

御拝(にふぇー)でーびる。

何時迄ん達者に暮らち呉みしぇーびり。
(いつまでも健康でいて下さい)
Date: 2010/12/18(土)


45 ハワイんかい行じ来びたん(ハワイに行って来ました)い裡押仝龍トークの動画


写真はブレンツィンガー氏とハインリッヒ氏の講演が終わり、私が最後に講演をしている模様。沖縄系二世エリック・和多が通訳も、そして踊りもヘルプしてくれました。


さて、当日は色々な所から駆け付けて下さった方が大勢いて結構盛り上がりました。

うちなーぐちは通じるかなと思ったのですが、戦後移住したうちなーんちゅのおばさん達も大勢いて、笑いと和やかな雰囲気で楽しく私は公演する事が出来ました。

この日の公演案内のチラシは2010年10月16日のこの「光龍最近の活動ブログ」にありますのでご参照ください。

2011年11月4日、ハワイのオアフ島ワイパフにある「ハワイ沖縄センター」にて公演したと書きましたが、その動画をここで公開しようと思います。

最初はうちなーぐちですが、英語も飛び出しピリンパラン。

ハワイでも受けました。

どうぞご覧ください。





Date: 2010/12/17(金)


現行ログ/ [1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10]
キーワードスペースで区切って複数指定可能 OR  AND

比嘉光龍オフィシャルサイト

018957
[TOP]
shiromuku(u2)DIARY version 2.71