予定していたシンポジウムを10月29日(土)に延期します。  2011/09/15(木)
70 金武町にて子ども達へ夏休みうちなーぐち講座を行いました  2011/08/10(水)
69 アジア初のDUO開催がうちなーで行われそこで発表しました。  2011/08/07(日)
68 那覇市のてんぶす館にて大分県の中学生にうちなーぐちを教えました  2011/07/13(水)
67 ハワイのうちなー系アメリカ人にスカイプでうちなーぐちを教えています  2011/07/12(火)
66 沖縄県薬剤師会への講演  2011/07/10(日)
65 沖縄大学にて講義を行ってきました。  2011/07/08(金)
64 那覇市真地にあるウエルカルチャースクールにてうちなーぐちを教えています  2011/07/02(土)


予定していたシンポジウムを10月29日(土)に延期します。
2011年9月17日(土曜日)午後1時から、沖縄大学にて「琉球諸語の復興を目指して」という題で行われる予定のシンポジウムを、台風接近の為、10月29日(土)に延期いたします。

開催時間、場所などは同じですので、皆さん申し訳ありませんが、10月29日にお越しいただけるよう、よろしくお願いいたします。

Date: 2011/09/15(木)


70 金武町にて子ども達へ夏休みうちなーぐち講座を行いました


写真は、私の唄三線の演奏にのせてこども達が「てぃんさぐぬ花(うちなー童謡)」を歌っている様子です。



4年前くらいに夏休みにこどもたちへうちなーぐちを教えてあげて、と私の親戚のお姉さんが勤める金武町中央公民館から依頼があり、それを今年もやることになりました。

8月10日の午前中2時間でしたが、私は4回、つまり4年に分けてやっているのでようやく力の抜き具合が分かるようになりました。

対象は小学2年生から6年生までで、うちなーぐちを教えるうんぬんの前に先生のお話を聞きましょうという所から始めなければいけません。

何年か前までは私はこども達の言う事をきかない態度に業を煮やし、「早く座りなさい!」とか、「こっちに集まって!」とか、「静かにしなさい!」などと叫びまくっていました。

しかし、子ども達は叫べば叫ぶほど、言う事を聞かなくなるし、私自身もノドが疲れるし、どうやって教えて良いのかとにかく疲労困憊でした。

そう悩んでいて、本職が教員の私の妻に相談すると「暴れまわる子がいるなら授業をそこで中断すればいいさ。その子が落ち着くまで気長に待ってみれば」という目からうろこアドヴァイスが功を奏して、その言葉を聞いてからはどこで子ども達に教えても、ノー、ストレスになりました。

今はやりのカロリーゼロ、ノンカロリーじゃないですけど、ストレスフリーになりました。

そうなんですね。学校教育の中でそれをやると予定している科目の授業時数が足りなくなったりして毎回は難しいのかもしれませんが、私の行う、うちなーぐち講座は義務ではなく任意なので、教える項目が少なくなったとしても、それはこども達が言う事を聞かなかった、静かに出来なかったから、とそれで済まされるのです。

ですから、毎度のように、今回もこどもたちは散々騒ぎまくっていました。私が用意してきた資料も半分しか出来ませんでした。

それはそれで良いでしょう。

こども達にはこども達のペースがあるのですから、しいてまで高圧的に「座れ!黙れ!静かにしろ!」と言わなくても良いと思います。

時間はかかりますが5〜6分するとこども達同士で注意しあって「しー!」とか言い合って可愛かったです。

なんか、本格的に学校に行ってうーまく(わんぱく)相手に教えたいなと思いました(笑)

Date: 2011/08/10(水)


69 アジア初のDUO開催がうちなーで行われそこで発表しました。



上から三枚は写真です。

一枚目の写真は、左が琉球大学政治学教授の島袋純さんで、真ん中私の右側は、沖縄キリスト教学院大学英語講師の新垣友子さん。

二枚目の写真は、三人それぞれの発表が終わった後に会場からの質疑応答を楽しくやっているところ。

三枚目の写真は、最後に10分ほど唄三線の演奏を行なっている様子です。


そして4番目は動画です。日本で一番発行部数の多い英字新聞「Japan Times」の記者、Jon Mitchellさんが、私が歌う様子を撮ってくれたものです。



Dialogue Under Occupation (DUO)「占領下における対話」という国際会議が2011年8月4日から8日にかけて行われる予定だったのですが、台風の為延期になり、私の予定した日も中止になりましたが、予定日の翌日、8月7日(日)の午後5時に急きょ行いました。

この会議は 第1回 米国(シカゴ)、第2回 イスラエル、第3回 コロンビア、第4回 米国(ワシントンDC)と行われており、今回、第5回目は、ここうちなーにて、またアジアでは初の会議になります。

私のNEWSの項目にチラシも掲載してありますが、この会議について主催者側が伝えるところによると

「第5回会議 では、占領下にある地域において、その地域についての情報を共有し理解を深めることに焦点を当てています。「占領下における対話(DUO V) )は、占領される側である力の弱い者が、どのような方法、形であれ他からの占領を甘受するものではなく、自らの生き方、自らの幸福の追求において自身で決定する能力を含め、万人にも平等な、人としての基本的人権を保持していることを占領者側に認めさせようという努力への意思を表すものです。占領下ではこれら基本的人権が占領する側とされる側との力の格差によって奪われているのです。占領下での対話の結果として、占領される者が占領の状況に声を上げ、これまでの不正が正される環境が形成されれば本学会は成功したと言えるでしょう。」

とコメントしています。

この会議の中心は、米軍が犯した罪について糾弾する内容がほとんどですが、その中に、うちなーでは、文化的にも抑圧を受けているので、それについて語ってくれないかと主催者側の依頼があったので参加しました。

米軍は基地でうちなーを支配、抑圧しているのは事実ですが、文化面に関しては、アメリカではなく、日本に抑圧されているので、少し他の方たちとは温度差があるように感じました。

簡単に発表した内容を述べますが、私と新垣友子さんは「琉球諸語」は方言ではない、という事を言い、島袋純さんはヨーロッパ、特にイギリスの中のスコットランドは自治権がかなり与えられていて、英語と違う言語である、スコットランド・ゲール語は教育予算を独自に取って教えているという事について発表してもらいました。

最後に質疑応答で、私は「島袋純さんから最近聞いたことですが、琉球諸語は方言か言語かという論争は言語学者が決めるものではなく、政治が決めるものだといわれ目からうろこでした」と発表しました。

つまり、日本の大多数の言語学者は「琉球諸語」を方言としたいのです。これを言語と認めてしまうと、今迄築いてきた自分たちの学問がくずれてしまうし、政治的にも分裂してしまう恐れもあるし、また文科省などから圧力がかかる恐れもあるし、とにかく面倒な事に巻き込まれてしまう可能性がとても高いのです。

それならば、過去の学説を支持し、今の地位を維持しておく事にやっきになるのも無理からぬことでしょう。

琉球諸語はユネスコも認めているれっきとした言語ですが、それを日本の学者たちや世間にきちんと把握させるには、政治がきちんと「言語である」と定めなければならないと思います。

それはすなわち法律などを作り「琉球諸語」を義務教育化するだとか、政治や経済などで何パーセントか使わなければ法律違反にするだとか、何かしら法的に推し進める事も同時にやらなければ、いつまでたっても変わらないと思います。


そして、その会議で発言もさせていただきましたが、うちなー民謡「恋ぬ花」も唄いました。ただし、この会議に合う歌詞を自身で作詞しました。歌詞を紹介します。

アミリカとぅ大和(やまとぅ)
 うぬ間(いぇだ)ぬうちな
  戦寄(いくさゆ)しらりてぃ
    くだみらりてぃ

歌意・アメリカと日本の間にある、我がうちなー(おきなわ)は、アメリカと日本の戦争に巻き込まれてしまった。そして今でも基地は存続し騒音被害や人権侵害など我々は踏みつけられたままだ。

絶望的な歌詞に思えるかもしれませんが、これが現状だと言えるでしょう。米軍基地は今後もずっと私の故郷に置かれ続けるのでしょうか。もしかすると米軍基地があるから中国も、北朝鮮も、攻めてこないかもしれません。しかし、米軍基地がなくなり、さらに自衛隊もなくなり、軍隊の無い島になったらという夢は持ちたいです。

ただ、米軍も、自衛隊もいなくなったら、本当に平和のままでいられるのだろうか?

どうすれば、軍隊がいなくても、どの国も攻めてこないような島にできるのだろうか?

戦争をするための軍隊などいらない、という理想論も大切だと思う。しかし、警察がなくなったら、やりたい放題の社会になってしまうのと一緒で、軍隊がなくなったら、秩序がなくなり、どこの国が攻めてくるか分からないというのが2013年現在の世界の現状でもあるだろう。

うーん悩んでしまいます。うちなーんちゅ(おきなわ人)みんなでこの問題は考えていきましょう。
Date: 2011/08/07(日)


68 那覇市のてんぶす館にて大分県の中学生にうちなーぐちを教えました

上の写真はてんぶす館内の和室にて、くつろいで私の話しを聞いている様子。

下の写真は、私が弾くカチャーシーで、初体験ながらも皆、楽しそうに踊ってくれました。



那覇市内にてんぶす那覇http://www.tenbusu.jp/と言う多目的文化ホールがあります。

そこに「体験学習」で、「沖縄の芸能・文化が全て学べるプログラム」というものがあり、そこで依頼があれば、出かけていき、うちなーぐちを教えています。

そこには、三線、太鼓、舞踊など色々な講師の方がおり、私は唄三線者という片書きは持ちますが、教えるのは、うちなーぐちのみです。

良く、「三線を教えて下さい」とか、「教えてないのですか?」と聞かれますが、すみません、教えていません。

なぜかというと、単純な理由からです。それは、私はどこの協会にも属していないからなのです。

教えても生徒達が発表できる場所がなければ、生徒達はのびません。

だから、民謡や古典音楽の協会などは、必要な存在だと思います。

はい、話を戻して、私はこの那覇市ぶんかテンブス館にて、うちなーぐちを教えていますが、ここからの依頼は、他府県の中学、高校生の修学旅行生がほとんどです。

大学生にも教えたいのですが、大学生にもなると団体で修学旅行は行かないのかもしれませんね。

これを見て下さっている各種学校、団体の関係者のみなさま、てんぶす館では、琉球の文化が学べますのでぜひ、ホームページをごらんになってご検討下さい。

ただの観光旅行のみならず、琉球文化を体験するなんて素晴らしいと思います。


さて、今回は大分県のある中学校へ、うちなーぐち(おきなわ語)を講義しました。

私は、ずっとボケていたので、中学生も最初は緊張していましたが、次第に笑って、最後は私の弾くカチャーシにのせて楽しそうに踊ってくれました。

御拝(にふぇー)でーびる。


今度は高校生になって会いましょう。
Date: 2011/07/13(水)


67 ハワイのうちなー系アメリカ人にスカイプでうちなーぐちを教えています


上の写真はハワイのメンバーから見た私の姿。

下の写真は、私がうちなーからスカイプを通じて見たときの皆の様子です。



ハワイに去年行った時の報告はこのブログでたっぷり書きましたので、興味のある方は過去の私のハワイについてのブログも見て下さいね。

さて、ハワイには、戦前・戦後を通じてたくさんのうちなーんちゅ(おきなわ人)が移民として渡りました。

その移民として渡った、うちなーんちゅの子孫のなかには、うちなー文化を守っていこう、また、継承していこうという人もかなり多く、ハワイではうちなー文化はかなり盛んなのです。

ただし、それは、唄や踊りなどがほとんどで、肝心のうちなー文化の根源であるうちなーぐちは、あまり継承されていないのが実状です。

まあ、ハワイに何もかも求めてもしようがないですけどね。当のうちなーでもほとんど、うちなーぐち継承活動は行われていないのですから。

しかし、やはりそれでは、おかしいでしょうという人はやはりいます。

その人達は、ハワイのうちなー系アメリカ人たちで結成された「御冠船歌舞団(Ukwanshin Kabudan)」です。

彼らの依頼により、月に2回ほどスカイプからですがメンバーの質問に答えています。

何回か続いたので、それを私のブログに掲載するから、そっちで私がおしえている様子をカメラに撮ってくれないかとお願いしました。

そして、その日の内にハワイから写真がメールで送られてきました。

すごいですね、技術の進歩ですよ。

私はハワイにいないんですよ。いないのにその様子がハワイで写真を撮られ、しかもその日の内に、その写真が送られてくるなんて、すごい、すごすぎる。

でも、まあ、今の社会では、当たり前と言えば当たり前の事ではありますけど。

ハワイでも、うちなーぐちが継承されて行くことを望みます。

それにしても私は白人系で、ハワイのメンバーのほとんどは、写真を見ていただければ分かるように東洋系です。
白人系のうちなーんちゅの私が、東洋の言語、うちなーぐちを、うちなー系アメリカ人に教えるというこの構図。

これを、日本社会に知ってもらいたいなあ。

私は、日本社会では外国人扱いですからね。

これを読んで下さっている皆さん。私は日本国籍しかない、うちなーんちゅだと言う事を理解して下さいね。

皆の衆、そこんところ、ゆたさるぐとぅ(よろしく)。
Date: 2011/07/12(火)


66 沖縄県薬剤師会への講演


上の写真は私が、皆にうちなーぐちで語りかけている様子です。

下の写真は、私の奏でるカチャーシーで、即興の「あっちゃめー」踊りを、皆が踊っている様子です。年の功か、皆さん素晴らしいあっちゃめーを踊ってくれました。



さて、沖縄県薬剤師会からの依頼で、講演を行ってきました。

実は、去年も依頼されていましたが、時間が合わず実現できず、今年は都合が付きました。

沖縄県薬剤師会というので、皆、お堅い先生方ばかりで、うちなーぐちは通じないだろうと思っていました。

ところがどっこい、平均年齢はかなり高く、私の親の世代の方や、祖父母くらいの世代の方がほとんどで、最初、うちなーぐちで面白い話をしたら、皆、大笑いしてくれたので、想像していたのと違い驚きました。

うちなーぐちで色々な話しをしましたが、皆、笑ってくれたり、感心をもって聞いてくれたりで、私は嬉しくなり、最後まで、ほとんどうちなーぐちで講演しました。

予想を良い意味で裏切られ、とても気持ち良く、講演をする事ができました。

この講演の二日前、沖縄大学で講演をした際は、皆、平均年齢が二十歳から二十二歳くらいまでだったので、うちなーぐちはほとんど通じず、寂しかったのですが、今日は思いっきり、うちなーぐちで話せて、いっぺー、ゐーやんべー、やいびーたん(とっても気持ち良かったです)。

沖大の生徒達、勘違いしないでね、沖大は沖大で楽しく講演できたんですよ。

ただ、うちなーぐちですべて講演をやれる空間というのは、私自身にとっては、とても貴重な時間です。

私の親や、祖父母が元気な内はこれからも可能でしょうが、それは後、何年続くのでしょうか?

私がおじいちゃんになる頃には、私は誰に向かって、うちなーぐちで語りかければ良いのでしょうか?

私が百歳になっても、うちなーぐちで語りかけると、笑ってくれる聴衆を育てる、これが私の使命なのだとつくづく感じます。
Date: 2011/07/10(日)


65 沖縄大学にて講義を行ってきました。


一番上の写真は講義をしている様子。

二番目の写真も同じく講義をしている様子ですが、左端に写っている女性が、今回私を呼んでくださった、ヒギンズ教授です。

三番目の写真ですが、やはりカチャーシーになると、うちなーんちゅの血が騒ぐのでしょうね、講義の最中なのに盛り上がっています。



沖縄大学にて50人ほどの生徒に、うちなーぐちについての講義を行ってきました。

私を呼んで下さったのは、沖縄大学で英語を教えている、ジャネット・ヒギンズ、いや、ヒギンズ・ジャネット教授です。

日本では、比嘉バイロンと姓を先に書きますが、欧米では、バイロン比嘉(Byron Fija)と姓は後に書くと言う事は誰でも知っている事ですが、しかし、現在では、英語で書く時にでも、日本人の名前ならば、比嘉バイロン(Fija Byron)とそのままにするべきだという流れがあり、ヒギンズ教授はイギリス人ではありますが「郷に入っては郷に従え」と、日本式に、ヒギンズ・ジャネットと名刺に書いています。

さて、そうやって自国イギリス以外の国の文化も尊重する姿勢を持っている、ヒギンズ教授とは、一度だけ沖縄大学でお会いしました。その時には、私の活動をテレビで見た事があると言われて、「そうですか、御拝(にふぇー)でーびる」と少し話しただけでした。

ヒギンズ教授の教える英語の科目の中で「多言語使用(Multilingualism)」についての授業があり、そこで、テレビなどでも取り上げられている私の活動についての話を生徒達に聞かせる事は面白いのではと思ったようなのです。

早速ヒギンズ教授から沖縄大学を通して依頼があり、私はこの素晴らしい申し出を引き受けました。

さて、生徒達に、何から語って良いか、もうほとんどが、うちなーぐちを聞く事も話す事もできない生徒ばかりです。

私が、うちなーぐちで話してもまったく分からない様子でした。

私は講演・講義をする際、言語地図をまじえながら「2009年2月、ユネスコが琉球諸島に6つの言語があると発表した」という説明をします。これは必ずやるのですが、しかし、最近私はそれだけでは何かものたりないと思い始めていました。

うちなーぐちは方言ではなく言語だと言う事は、何もユネスコが言わなくても当たり前のことではありますが、それをきちんと理解してもらうには、やはり琉球・うちなーの歴史を知る事が大切だと思うのです。

ここで、書くと長くなるので割愛しますが、とにかく、私が最近特に力説しているのは、「1879(明治12)年日本侵略により琉球王国崩壊、沖縄県強制設置」と言う事についてです。

これをきちんと知れば、うちなーぐちが方言ではないという事について、きちんと考えられる一助になると私は思うのです。

皆に質問しましたが、1879年について知っているのは2人でした。

さらに、何が起こったのかをきちんと説明できる生徒はゼロでした。

織田、豊臣、徳川などの歴史は知っているし、「1192作ろう鎌倉幕府」などは試験にも出るから皆ほとんど分かるでしょう。

しかし、琉球・うちなーの歴史で一番大切な年、1879(明治12)年はほとんど知らないし、ましてや、何が起こったのかはほとんど、沖縄の学生たちは知りません。

だから、うちなーぐちは方言でも良いと考えるのです。

歴史教育、これはとても大切な事だと思います。
Date: 2011/07/08(金)


64 那覇市真地にあるウエルカルチャースクールにてうちなーぐちを教えています


上の写真2枚とも楽しく講義をしている模様です。


那覇市真地にあるウエルカルチャースクール

http://www.well-culture.jp/top.html

にて隔週(第一、第三)土曜日の午前9時半から11時までの1時間半ですが、「光龍ぬうちなーぐち講座」と銘打ち、うちなーぐちを教えています。

講座は月に2回、3カ月を1期とするので、6回の講座を教えます。

今期は今日7月2日(土)から始まりました。

途中見学も可能ですので皆さんどしどし見学にいらっしゃって下さい。

待っちょーいびーんどー(待っていますよ)
Date: 2011/07/02(土)


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