47 ハワイんかい行じ来びたん(ハワイに行って来ました)い裡粥.チャーシー動画   2010/12/19(日)
46 ハワイんかい行じ来びたん(ハワイに行って来ました)い裡魁”誉蘢察覆舛犬紊筺次貌芦  2010/12/18(土)
45 ハワイんかい行じ来びたん(ハワイに行って来ました)い裡押仝龍トークの動画  2010/12/17(金)
44 ハワイんかい行じ来びたん(ハワイに行って来ました)い裡  2010/12/16(木)
43 ハワイんかい行じ来びたん(ハワイに行って来ました)  2010/12/15(水)
42 ハワイんかい行じ来びたん(ハワイに行って来ました)△裡  2010/12/14(火)
41 ハワイんかい行じ来びたん(ハワイに行って来ました)△裡  2010/12/14(火)
40 ハワイんかい行じ来びたん(ハワイに行って来ました),裡  2010/12/13(月)


47 ハワイんかい行じ来びたん(ハワイに行って来ました)い裡粥.チャーシー動画 


(写真は、講演が終わった後に、記念撮影をしている様子。右から、ハインリッヒ氏、ブレンツィンガー氏、そして日本系の二世なのですが奥さんが沖縄系という縁で現在ハワイ沖縄連合の会長を務めている、ポール古明地(こめいじ)氏、そして我ん。)



2010年11月4日にオアフ島ワイパフにある「ハワイ沖縄センター」にて私が公演した際に撮影したもので最後にカチャーシーを弾いて、それに応じて会場の皆さんが踊ってくれている様子です。

もちろんほぼ大半がアメリカ人ですが、その中にはうちなー系アメリカ人や日系アメリカ人、そして白人、またうちなーからハワイに移住して10年、もしくは20年ぐらいの方などなど、色々な方がいらっしゃっていました。

うぃーりきさいびーたん(嬉しかったです)

皆が踊っている模様をご覧くだされ。





Date: 2010/12/19(日)


46 ハワイんかい行じ来びたん(ハワイに行って来ました)い裡魁”誉蘢察覆舛犬紊筺次貌芦





2010年11月4日にオアフ島ワイパフにある「ハワイ沖縄センター」にて撮影した模様を、写真や動画などでUpしましたが、もうひとつどうしてもUpしたいのがこの「浜千鳥(ちじゅやー)」という唄です。

「ちじゅやー」は作詞作曲者不明、正真正銘のうちなー民謡ですが、この唄はうちなーんちゅのブルースだと言えるでしょう。

歌詞は民謡ですから本来は定まってはいませんが、明治時代にこの唄に踊りを振りつけた為に歌詞が固定されてしまいました。

しかし、固定されてしまったがゆえに、3番までの歌詞はあたかも昔から唄われてきた歌詞のように広く知れ渡って行きました。


まず、1番ですが、

旅や浜宿い(旅は浜に宿り)
 
草ぬ葉どぅ枕(草の葉を枕に)

寝てぃん忘ららん(寝ても忘れられない)

我やぬ御側(故郷にいる親兄弟のもと)



そして2番を唄う時に私はいつも感傷的になるのですが、こういう歌詞です。


旅宿ぬ寝覚み(旅宿での目覚め)

枕すばだてぃてぃ(枕をそばだてて)

覚出すさ昔(思い出すのは昔)

夜半ぬ辛さ(夜半の辛さ)



そして3番が

渡海や隔みてぃん(海を遠くへだてていても)

照る月や一ち(照る月は一つしかない)

あまん眺みゆら(愛しい方も眺めているだろう)

今宵ぬ空や(今宵の空を)



という歌詞です。

4番もありますが、この3つの歌詞と繋がりが薄いので私は唄うのを遠慮しています。

この歌詞を読んで皆さんどう思いましたか?


ハワイで戦前、戦後、最近まで、移民をした、うちなーんちゅは本当に苦労した方が多かったと聞いています。

ただ、人々に伝わるのはハワイで成功した、儲かったなどという事がほとんどでしょう。

しかし、その陰でどれだけの人が嘆き苦しみ、悲しんで生きてきたことでしょう。

ハワイに戦前、戦後移住したうちなーんちゅは苦しい時にきっとこの唄を口ずさんだはずです。

私はハワイに行くのは初めてだったのですが、うちなーんちゅが苦労した歴史を少し学んでいたので、この「ハワイ沖縄センター」に集まって下さったたくさんのうちなーんちゅを前にして、何か深いものを感じました。

そして、舞台で太鼓を叩いてくれている「キース仲兼久」、また、魂を込めて踊ってくれている「エリック和多」の2人はそれぞれうちなー系のアメリカ人です。

彼らの親や祖父母たちはとても苦労してハワイの地で生きてきているのです。

彼らの助けを借りているからか分かりませんが、この動画を見ると涙が出てきます。

そして、見ていただければ分かりますが、誰かが最初から最後まで私と一緒に唄を口ずさんでくれています。

その方は勝連町出身の八十代になる男性ですが、車椅子に乗ってわざわざ会場に駆けつけて下さったのです。

実はこの方とは前日にもお会いしたのですが、まさかこの日来てくださるとは思ってもみませんでした。

最後に「したいさい!なとーん(したり!よくやった)」と興奮気味に私にエールを送って下さいました。

御拝(にふぇー)でーびる。

何時迄ん達者に暮らち呉みしぇーびり。
(いつまでも健康でいて下さい)
Date: 2010/12/18(土)


45 ハワイんかい行じ来びたん(ハワイに行って来ました)い裡押仝龍トークの動画


写真はブレンツィンガー氏とハインリッヒ氏の講演が終わり、私が最後に講演をしている模様。沖縄系二世エリック・和多が通訳も、そして踊りもヘルプしてくれました。


さて、当日は色々な所から駆け付けて下さった方が大勢いて結構盛り上がりました。

うちなーぐちは通じるかなと思ったのですが、戦後移住したうちなーんちゅのおばさん達も大勢いて、笑いと和やかな雰囲気で楽しく私は公演する事が出来ました。

この日の公演案内のチラシは2010年10月16日のこの「光龍最近の活動ブログ」にありますのでご参照ください。

2011年11月4日、ハワイのオアフ島ワイパフにある「ハワイ沖縄センター」にて公演したと書きましたが、その動画をここで公開しようと思います。

最初はうちなーぐちですが、英語も飛び出しピリンパラン。

ハワイでも受けました。

どうぞご覧ください。





Date: 2010/12/17(金)


44 ハワイんかい行じ来びたん(ハワイに行って来ました)い裡


上の写真は2010年11月4日にオアフ島ワイパフにある「ハワイ沖縄センター」にて公演をする前に、ハワイ沖縄連合会理事の皆さんが、センターの庭を案内して下さり、その庭に「沖縄とハワイの類似点」という記念碑がありそれを写しました。そこに「文化」の類似点とあり、「言語」は、「ウチナーグチ」、ハワイは「ピジョン・イングリッシュ」とありましたが、ハワイは「ハワイ語」でしょう。これはおかしい。


2枚目の写真は「ハワイ沖縄センター」敷地内ギャラリーの様子。敷地内には1200人収容できるホールがあるのですが、同じ敷地内に「オフィス」と沖縄の歴史・文化関係の本を集めた「図書室」、そして戦前、戦後とハワイに移民、移住してきたうちなーんちゅ達の歴史に関係する写真や、ハワイで使っていた砂糖きび畑などの工具や農具などを飾ってある「ギャラリー」があります。そこも、ハワイ沖縄連合会の皆さんが私達に色々と説明して下さいました。私の手前で左側にある、かかしを覗き込んでいる銀髪の男性は、ドイツのケルン大学教授、マティアス・ブレンツィンガー。そしてその手前は、獨協大学准教授で私の親友パトリック・ハインリッヒ。その後ろにいらっしゃるきらびやかな赤のシャツを来ている女性は大原由美子(おはら ゆみこ)ハワイ大学ヒロ校准教授。彼女がほとんどこの講演を企画し、実現させて下さいました。そして右端手前に横の姿しか写っていないのですが、ハワイ大学マノア校の聖田京子教授。そしてその奥、つまり右の奥にこちらに向かって立っているのが、沖縄系二世のジョイス・ナオミ知念ハワイ大学ウエストオアフ校教授です。2人にもお世話になりました。



私がハワイで何をしてきたか、ここから書いて行きます。

まず、そもそも、上の2枚目の写真の真中に写っている、きらびやかな赤のシャツを来ている女性ですが、大原由美子(おはら ゆみこ)さんと言い、東京生まれ育ちの日本人で、ハワイで生活し10年以上になり、なぜかハワイの言語であるハワイ語の魅力に惹かれ、ハワイ語を通じて言語学をハワイ大学で教える事になったそうです。

大原さんは、自分の生まれ育った日本に、ハワイ語が苦難の歴史を歩んだように、琉球の言語達、それらを総称して、現在では琉球語ではなく、「琉球諸語(りゅうきゅうしょご)」と言いますが、ハワイ語と同じように苦難の歴史を歩んでいるという事に気付き、それとハワイを結び付けたらお互い良い相乗効果が生まれるのでは、という考えから、まず琉球諸語の中の与那国語を研究している、現在、獨協大学准教授のパトリック・ハインリッヒ氏にコンタクトを取ったのでした。

そして、ハインリッヒ氏と私が親友だったので、紹介されて、そして、大原さんが、「光龍さんと、ハインリッヒ氏と、ブレンツィンガー氏の3人をハワイ語復興に携わっている方達と交流を目的とした講演をしてほしい」と2010年3月に東京の琉球諸語シンポジウムで再会した時に言われました。

びっくりしましたけど、ハワイは初めて行くので楽しみでしたし、うちなーんちゅの移民の歴史に触れることが出来ると思い、ありがたくハワイ行きを引き受けさせて頂きました。

そして、日程は私の都合に合わせていただき、兼ねてから面識のあるドイツのケルン大学教授マティアス・ブレンツィンガー氏と、パトリック・ハインリッヒ氏と私を含めた3人のハワイ講演が2011年11月4日を皮切りにオアフ島とハワイ島の2つの島をめぐり、11月8日までの5日間、びっしりハワイ語復興運動に携わって来た方々と交流と講演を行ってきました。

その最初の日がオアフ島にある「ハワイ沖縄センター」での3人の講演です。

私は多少の英語と通訳を混ぜて、自分の生い立ちと現在のうちなーぐち講師の立場からの話と、唄三線の演奏というスタイルで公演をしました。

ハワイには沖縄系の方が約5万人いるそうです。

そして、最初の日に公演した「ハワイ沖縄センター」は1990年、沖縄移民90周年を記念して「ハワイ沖縄連合会(Hawaii United Okinawa Association)」によって設立されたそうです。

このセンターでぜひ公演をやってもらいたいとの事で、上の写真にもありますが、聖田京子ハワイ大学マノア校教授(沖縄生まれ育ち)とジョイス・ナオミ・知念ハワイ大学ウエスト・オアフ校教授(沖縄系二世)の二人が、ハワイ沖縄連合会に働きかけて下さり、この日の公演と相成りました。



Date: 2010/12/16(木)


43 ハワイんかい行じ来びたん(ハワイに行って来ました)

写真はハワイ州最東端の島で一番面積が大きいハワイ島。ヒロという町のホテルに泊まったのだが、そのホテルの部屋から眺める景色。


さて、ハワイ州は8つの島から成り立ち、その内カオホオラヴェ島をのぞく七つの島は有人島ですが、ニイハウ島はロビンソン家の私有島なので、その二島を除く残り六つの島が、観光客が訪れることができると書きました。

ハワイは琉球諸島と似ていて、様々な島やさんご礁が長さ3300kmにわたり、鎖状に連なっているのです。

その3300kmに渡り連なっている最東端が最大の島でもあるハワイ島で、そこから3300km北西に「クレ環礁」という島のような岩のような場所があり、そこでハワイは終わっていて、つまりアメリカ合衆国の最北西端は「クレ環礁」だと言えるのです。

「クレ環礁」と書くと聞いた事がない人がほとんどだと思いますが、その一つ手前の島に「ミッドウェー諸島」というものがあります。

ミッドウェー海戦って聞いたことはありませんか?1942年(昭和17年)、第二次世界大戦中、ミッドウェー諸島の近くの海で日本海軍とアメリカ海軍が激しく激突し、日本海軍が壊滅的な打撃を受け退陣しました。その1年前に日本はハワイの真珠湾を奇襲攻撃してアメリカに大打撃を与えたのですが、わずか1年後に、今度はアメリカに反撃されてしまいました。このミッドウェー海戦でのアメリカの勝利は、1945年(昭和20年)の日本敗戦に追い込む第一歩になったと言われています。

ハワイ州はホノルルのあるオアフ島を含め8つの主要な島から成り立っていますが、それ以外に北西に「北西ハワイ諸島」という島々が存在します。それらは、ミッドウェー諸島を含め、サンゴ礁や岩礁からなる島々がありますが、面積もとても小さな島ばかりのようで、ほとんどの島は無人島のようです。

それについてもう少し知りたい方は、矢口祐人さんという、東京大学アメリカ太平洋地域研究センター助教授の書いたコラムが

http://www.hulastyle.jp/column/yujin08.html 

で読めます。

私はハワイから帰って来て早速ハワイ関係の本を色々購入しましたが、その中には彼の書いた

ハワイの歴史と文化―悲劇と誇りのモザイクの中で (中公新書)

という本もあり、これもお薦めです。

はい、ハワイ基本情報はこれだけにして、本題である私は何をしに行ったのかをようやく「ハワイんかい行じ来びたん」のい能颪ます。
Date: 2010/12/15(水)


42 ハワイんかい行じ来びたん(ハワイに行って来ました)△裡

上の2枚の写真はハワイ島で有名なキラウエア火山(標高1274m)に夜に行った時に撮ったもの。暗いなかで赤く光っているのが分かりますよね。


△裡韻乃した事をまとめると、ハワイ諸島で観光客が訪ねて行ける島は6つあり、西から、カウアイ、オアフ、モロカイ、ラナイ、マウイ、ハワイ島となります。

その6つの島を西から順に解説してみます。

ハワイ諸島で最西端の島ニイハウ島は上に記したようにロビンソン家の私有地なので説明は省きます。


1、カウアイ島ですが、ハワイ8島の内で一番古い島と言われていて、約400万年前に海底火山の噴火で出来たと言われています。現在も有名な活火山キラウエアがあるので有名な最東端にあるハワイ島ですが、噴火で出来たのは約10万年前と言われているので、カウアイ島がいかに古い島かおわかりでしょう。


2、オアフ島はハワイ州で一番人口が多く、2009年統計によると人口約90万7千人住んでおり、ハワイ8島中、有人島7島の内で、一番人口の多い島でもありハワイ州の州都ホノルルを擁する島でもあります。有名なワイキキビーチもホノルルにあります。ちなみにハワイ州の総人口は約129万5千人ですので、オアフ島はハワイ州の人口70%が暮らしている一番賑やかな島だと言えるでしょう。


3、モロカイ島は信号が一つもない島だとのことです。モロカイ島の人口は2000年度のものしか調べられませんでしたが、7404人だそうです。これは久米島が2010年12月の統計で8497人なので、それより千人少ないぐらいです。しかし面積は久米島の約11倍なので、自然たっぷりの島である事がこのデータからも伺えます。


4、ラナイ島はモロカイ島よりさらに小さいのですが、それでも宮古島の2倍の面積はあります。けれども人口は2000年度の統計で3193人ですので、宮古島人口が2010年12月で約5万5千人なので、比べてみれば明らかなように、モロカイ島と同じくかなりゆったりと過ごせそうです。


5、マウイ島は大阪府の面積とほぼ同じだそうです。しかし、人口が2009年度統計によると、約14万5千人なので、大阪府の2010年度の人口880万人と比べると、どれだけ人々はゆったり暮らしているかが簡単に想像できると思います。さらに、大阪府で一番高い山は1125mの金剛山だそうですが、その約3倍の3055mのハレアカラ山を擁するマウイ島は冬には山頂付近に雪が降ります。ハワイなのに雪が見られるというのは面白いと思います。


6、そしてハワイ州最東端の島と言えば、通称ビッグアイランド(Big Island)で知られるハワイ島です。ハワイというとホノルルを擁するオアフ島のイメージがとても強いので、このハワイ島にホノルルがあると勘違いしてしまう方もいるかも知れません。しかし、このハワイ島はビーチも確かにありますが有名なのは何と言ってもキラウエア(Kilauea)火山でしょう。行って来ました。すごかったです。夜だったのですが溶岩が赤く闇夜で光っていて神秘的な赤でした。その写真も載せましたが暗いので見えにくいですね。
Date: 2010/12/14(火)


41 ハワイんかい行じ来びたん(ハワイに行って来ました)△裡

地図は私が簡易的に作成したハワイ州の主要8つの島。



ハワイの基本情報を少し書きます。

まずは、ハワイの地理ですが駐日米国大使館(Embassy Of The United States In Japan)ウェブサイトに

「ハワイ群島は、さまざまな島やさんご礁が長さ3,300キロメートルにわたって、鎖状に連なり、太平洋中部に大きな弧を描いている。群島は東のハワイ諸島から始まり、ほぼ日付変更線のあたりの、大海の中のシミのようなクレ環礁で終わっている。ハワイ州の中でも、さまざまな大きさの島があるのは最東端から650キロメートルの範囲だけであり、人口もほとんどがこの地域に住んでいる。実際に「ハワイ」と見なされているのは、通常この部分である。」

とあり、続けて、

「ハワイ州では、主要8島(オアフ、ハワイ、マウイ、カウアイ、ラナイ、モロカイ、ニイハウ、カホオラヴェ)が面積の99%以上を占めており、ほんの一握りの住民を除くほとんどが、この8つの島に住んでいる。」

とあります。

つまり、ハワイというのはニイハウ島から東の八つの島を指すのです。上の地図を見て下さい。西から順に下に記すと

1 ニイハウ島(Ni‘ihau Island)

2 カウアイ島(Kaua‘i Island)

3 オアフ島(O‘ahu Island)

4 モロカイ島(Moloka‘i Island)

5 ラナイ島(Lāna‘i Island)

6 マウイ島(Maui Island)

7 カホオラヴェ島(Kaho‘olawe Island)

8 ハワイ島 (Island of Hawai‘i)

となります。

普通、この上記8つの島を総称してハワイと呼びます。

2011年現在有人島は最西端のニイハウ島から数えて7番目の島カホオラヴェ島を除いた7つの島です。

そしてハワイ最西端の島「ニイハウ島」は有人島ではありますが、基本的に観光客は訪れる事は出来ないようです。

実はニイハウ島はロビンソン家の私有地だという理由からだそうで、したがって観光客は自由に立ち入る事は出来ないのです。

ロビンソン家って何者?と疑問をお持ちの方は

http://www.hulastyle.jp/column/yujin06.html 

を読んで頂ければニイハウ島の大体の歴史は分かると思います。 

△裡欧紡海。
Date: 2010/12/14(火)


40 ハワイんかい行じ来びたん(ハワイに行って来ました),裡

(写真はハワイ州最東端の島で一番面積が大きいハワイ島。「ヒロ(Hilo)」という町のホテルに泊まったのだが、そのホテルの部屋から眺める景色。)



ハワイ人はアメリカ本土の先住民族、つまりネイティヴアメリカン(Native American)と並び、アメリカの先住民族と言う事で良くとりあげられる事が多いのですが、ハワイの先住民族に関する事について、きちんとした歴史認識が一般社会で認識されているかというと、そうではないという現実があるようで、それはそっくりそのまま琉球・うちなーの歴史認識について日本社会ではあまり取りあげられない事と似通っている事だと言えるでしょう。

ではどういった歴史認識の差なのかハワイの事について少し例をあげてみます。

ハワイの歴史上初めて、いわゆる白人がハワイに現れたといわれているのはキャプテン・クックと言う人ですが、その人がハワイに現れたのが1778年と歴史には記されています。

ここからハワイの歴史は飛躍的に変わっていくので、この1778年と言う年はハワイにとって歴史上とても重要で、どの歴史本を見ても1778年からハワイの、いわゆる有史は始まったと書かれています。

ここで私が取り上げたい歴史定義ですが、1778年にキャプテン・クックがハワイに現れた事に関して、「発見」という言葉が使われている事に関して異を唱えたいのです。

ハワイ人の歴史からすれば、キャプテン・クックはハワイへ来た初めてのヨーロッパ人で(それが本当に歴史上初のヨーロッパ人なのかは定かではないが)、それを、1778年にハワイを「発見」という言葉を使い歴史を定義してしまうと、1778年までは、ハワイには誰も住んでいなく、あたかもクックがハワイを発見し、そこで現代アメリカのハワイの基礎を築いたかのような印象を与えてしまうおそれがあるでしょう。

クックが来た1778年以前から1893年まで、ハワイはハワイ人によって治められていましたが、1893年以降はアメリカに占領されてしまい、現在もアメリカに支配されているというのが実状です。

話を戻すと、イギリス人であるキャプテン・クックは1778年にハワイに「来航」した、もっとくだけて言えば「やって来た」のであり、決してハワイ諸島を「発見」などはしていません。

1778年当時のハワイの人口は推定で40万人いたと言われ、2010年現在の那覇市の人口よりはるかに多い人口が住んでいたのです。

1778年当時ハワイ諸島には数人の王がいたといわれ、ハワイ諸島は琉球王国と同じ、王を頂点とする階級制を用いていました。王の下には、土地を分け与えられた「アリイ」という貴族がおり、そのアリイの土地を管理する「コノヒキ」という首長たちがおり、その下に漁業や農業に従事する「マカアイナナ」という平民階級がいたと言われています。

また、不思議なのが、儀式や祈り、占いなどをつかさどる「カフナ」と呼ばれる専門家集団もいたといわれており、まさに琉球の「聞得大君(ちふぃじん)」を頂点とする国王の祖先を祭る神官たちと同じような集団がいたというのも琉球王国との共通性を感じてしまいます。

ハワイは琉球王国とかなり似た制度を用いていた文化を持つ民がハワイ諸島にて暮らしていたのであり、文化があり衣食住を持つ民だったからこそ40万人もの人口を抱える事ができたといえます。

一説によると80万人もの人が住んでいたとも言われています。

ですから、キャプテン・クックが1778年にハワイを「発見」したと書いてしまうと、1778年当時のハワイ文化を否定する事につながる可能性があります。

「発見」という語を歴史的定義に用いるというのは、クックは文明の発達したヨーロッパから遅れている未開の地ハワイをヨーロッパのような進んだ国にしてあげる一歩を記したとも取れるでしょう。

1778年当時のハワイは40万人もの人々の暮らす国であり、それをヨーロッパと比べ、遅れているとか、進んでいるというのはおかしな比較で、ハワイはハワイ人達の作り上げた文化の中で、人々は西洋と違う暮らしを営んでいたのです。
Date: 2010/12/13(月)


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