91 糸満市にて、日本青年国際交流機構(IYEO)第28回全国大会での講演を行なってきました  2013/04/18(木)
90 知花竜海くんと、まじゅん(一緒に)、トーク&ミニライヴ  2013/04/18(木)
89 「世界の中の琉球諸語」シンポジウムはお陰さまで大盛況でした  2013/04/18(木)
88 大分県別府市で昼は講演、夜は歌三線ライヴを行なってきました  2013/04/17(水)
87 2012年 5月19日「ジャパンタイムズ(The Japan Times)」紙に再び掲載されました。  2013/04/15(月)
86 2012年2月18日「琉球の島々の唄者たち〜琉球諸語の復興を目指して」を開催!  2013/04/15(月)
85 私のうちなーぐち師匠「真喜志康忠(まきし こうちゅう)」先生がお亡くなりになりました。  2011/12/23(金)
84 豊見城にある障がい者就労支援センター「ちいろば」主催ハッピー大賞の審査員をしました。  2011/11/13(日)


91 糸満市にて、日本青年国際交流機構(IYEO)第28回全国大会での講演を行なってきました



上の2枚の写真は、講演を行なっている様子です。



2012年12月8日(土)、沖縄県糸満市にて、第19回青少年国際交流全国フォーラム、日本青年国際交流機構(IYEO)第28回全国大会が行われ、そこで基調講演を頼まれました。その後に分科会というものがあり、そこではミニ「うちなーぐち講座」を行いました。

そもそもIYEOとは日本青年国際交流機構(International Youth Exchange Organization of Japan 略称 IYEO)の事で、昭和34年度から始まった内閣府【総務庁・総理府】が行ってきた青年国際交流事業の既参加青年で組織されており、会員数は1万4千名に達しているとのことです。

そこでの講演内容がhttp://macrocosm.jp/con_viw.php?kij101=101&kij102=10&kij129=10で読めますので時間のある際にご覧下さい。
Date: 2013/04/18(木)


90 知花竜海くんと、まじゅん(一緒に)、トーク&ミニライヴ


上はチラシです。

その下の写真は、二人がトークしている様子です。



2012年11月29日(木)に那覇市の若狭公民館にて、私のうちなーぐちの弟子でもあり、生徒でもあり、また弟分のような存在でもある「知花竜海(ちばな たつみ)」くんと、まじゅん(一緒に)、トーク&ミニライブを行いました。

トークはうちなーぐちの現状についても色々と語りました。

また、二人のアイデンティティについても話したのですが、私たち二人は共通点があるんです。それは、私は父親は米国人、母親はうちなーんちゅ、彼は父親がうちなーんちゅで、母親は福岡人なんです。二人共片親がうちなーんちゅではないという共通点もありますが、一番大きな共通点は見た目でしょう。私はうちなー社会では、見た目が西洋人なので良く外国人扱いをされてしまうという状況があり、彼は見た目がうちなーんちゅっぽくないので、大和ん人(やまとうんちゅ。日本人という意味)扱いをされてしまうという状況があるんですね。

この見た目が違うというのは、そういう状況に生まれた人にしか分からない、かなり特殊な経験をしてしまうんですよ。それが二人共外に向けて何かを発信したいという原動力になっているのでしょうけれど。

私はうちなー民謡を唄い、彼はギターで自身のオリジナルの曲を歌いました。最後はうちなー民謡「唐船どーい」で三線、ギターの掛け合いで面白い組み合わせでしたよ。知花竜海(ちばな たつみ)くんはCDも発売していますので、皆さんぜひ、チェックしてみて下さい。
Date: 2013/04/18(木)


89 「世界の中の琉球諸語」シンポジウムはお陰さまで大盛況でした


Video streaming by Ustream

一番上はこのシンポジウムのチラシです。

そして下の2枚の写真はシンポジウムで和気あいあいと発表している様子です。

一番下はこのシンポジウムの動画です。



 2012年9月に予定していた沖縄大学での「世界の中の琉球諸語」シンポジウムは台風接近のために11月10日(土)に延期になりましたが、10日にはたくさんの方にいらっしゃっていただき大盛況のうちに終えることができました。その模様は上にある動画ですべて見ることができますので、時間のある方は是非ご覧下さい。

このシンポジウムは私以外、皆、外国人というユニークなメンバーで行いました。しかし、私の見た目はどうしても西洋人なので、私以外は西洋人だと言っても、私の事情を知らない方は「みんな外国人でしょう」と勘違いしてしまうことでしょう(笑)

このシンポジウムを行った目的はテレビやラジオ、新聞、また私自身が行なっている講座や講演などで、何度も繰り返し私が述べている「琉球の言語は方言ではない」ということを知らしめるために行いました。

この根拠は日本が琉球王国を崩壊させ沖縄県を強制設置した歴史を説明すれば明らかですが、それのみならず、2009年2月にユネスコが「琉球の言葉は言語である」と発表したことにも基づきます。それについてはこのウェブサイトの上の「随筆」をクリックしていただき、そのなかの「光龍ぬうちなーありくり随筆」にもっとたくさんの情報を書きましたので興味のある方はご覧下さい。

さて、肝心のシンポジウムですが上のチラシにあるように、各自研究している琉球の言語について発表してもらいました。さらに最初と最後に、ブラジル人で、うちなー三世の上間・エドアルド・明と歌三線の演奏も行いました。どうぞその模様も動画でご覧下さい。
Date: 2013/04/18(木)


88 大分県別府市で昼は講演、夜は歌三線ライヴを行なってきました


上の写真は、昼間、別府市中央公民館にて講演の合間に唄を唄っている様子です。
下の写真は、夜、別府のライヴハウスで演奏を行なっている様子です。



2012年8月19日に「 全国在日外国人教育研究協議会」という会の主催で第33 回全国在日外国人教育研究集会・中九州大会の全体会 が大分県の別府市中央公民館にてあり、そこで講演を頼まれて行って来ました。

その会の主題が「子どもたちの状況と私たちの課題を明らかにし、多文化共生教育を展開しよう!」というものです。そこで「ハーフ」という言葉ではなく「アメリカ系うちなーんちゅ」と名乗る私に、私自身の生い立ちや日本社会で外国人と勘違いされていることなど、私のアイデンティティについて語って欲しいと頼まれたのです。

あまり難しく考えずに、うちなーでいつもやっている通りに語り、唄ってきました。会場の方は私が面白いことをいうと笑ってくれていましたよ。最後はカチャーシーをしましたが踊ってくれる方もいたのでホッとしました。その講演は夕方で終わりなので、それでは私自身も不完全燃焼なので、夜は私個人の歌三線ライヴをやろうと考え、無理を承知であちらこちらにツテはほとんどないのですが、細い糸をたぐり寄せるように、ライヴ会場やお客さん集め、宣伝まで、できる限りのことを、うちなーにいながらにしてやりました。

ただ、それでも限界があり、担当をして下さった、名前出してもいいですよね?「大野」さんに助けられました。「大野」さんは昼の講演会の担当なのであって、私が勝手にやろうといいだした夜の歌三線ライヴは手伝う必要はないのです。しかし、「会場を見に行ってみる」と言ってくれたり、お客さんを集めて下さったりと、かなり負担をかけてしまいました。さらに、別府の三線サークル「三線倶楽部あしびなぁ〜」の小川さんという女性がメンバーに声をかけて下さって、来場してもらうのみならず、ライヴ前にミニ「うちなーぐち講座」まで企画を持ちかけられ、それも行いました。

大野さん、小川さん、また「三線倶楽部あしびなぁ〜」の皆さん、感謝します。御拝(にふぇー)でーびる。

したがってその日は、昼は「私のアイデンティティについての講演」、夕方は「うちなーぐち講座」、夜は「唄三線ライヴ」と立て続けにこなし、終わったら疲れるどころか、いらっしゃって下さった、うちなーんちゅのおばさんのお店まで訪ねるくらい、もうハイテンションでした(笑)

その、昼の講演会の模様と、夜の歌三線ライヴの模様まで、私を別府に呼んで下さった大野さんがブログで事細かに書いて下さいました。これはhttp://blogs.yahoo.co.jp/onohwirs/13541143.html昼の講演レポートで
これはhttp://blogs.yahoo.co.jp/onohwirs/13553866.html 夜のライヴレポートですので時間のある方はご覧下さい。

さらに、大分県別府市地域のローカル新聞「今日新聞」にも取り上げられました。http://today.blogcoara.jp/news/2012/08/post-0da0.htmlで読めますのでご覧下さい。
Date: 2013/04/17(水)


87 2012年 5月19日「ジャパンタイムズ(The Japan Times)」紙に再び掲載されました。

写真は、「ジャパンタイムズ(The Japan Times)」紙に掲載されているもの。

日本最大の英字新聞「The Japan Times」にインタヴューされ、また掲載されました。以前はJon Mitchellさんというウェールズ(イギリス連邦の一部)人記者でしたが、今度は三重さんという日本人の記者でした。

ここ
http://www.japantimes.co.jp/news/2012/05/19/news/okinawans-push-to-preserve-unique-language/

で全文読めますので英語を読める方はご覧下さい。


Date: 2013/04/15(月)


86 2012年2月18日「琉球の島々の唄者たち〜琉球諸語の復興を目指して」を開催!




上の写真ですが左から、うちなーの民謡歌手の照屋寛徳さん、八重山民謡歌手の大工哲弘さん、与那国民謡歌手の宮良康正さん、宮古民謡歌手の天久勝義さん、そして比嘉光龍ですが、奥の右側に写っている女性は太鼓を担当して下さった、うちなー民謡歌手の当山米子さん。

写真下にある動画でシンポジウムのすべてが見られます。2時間45分ありますのでたっぷり琉球の世界に浸っていただければと思います。


2012年2月18日(土)午後1時〜3時半まで、沖縄大学1号館601教室にて「琉球の島々の唄者たち〜琉球諸語の復興を目指して〜最終回(全3回)」を行いました。そうそうたる、琉球の民謡歌手の方々に出演していただきました。

この4人のメンバーはそれぞれの島の人間国宝だといえる方々です。どうぞ動画をお楽しみ下さい。
Date: 2013/04/15(月)


85 私のうちなーぐち師匠「真喜志康忠(まきし こうちゅう)」先生がお亡くなりになりました。

写真上は、先生が1983年に出された著作「沖縄芝居50年」。
写真下は、遺作となった「沖縄芝居と共に」で2002年に発刊された。


2011年12月16日に私の、うちなーぐち師匠である真喜志康忠先生がお亡くなりになりました。88歳でした。謹んでお悔やみ申し上げます。

私と康忠先生の出会いはそんなに古くなく、まだ10年にも満たないぐらいで、しかも、3年前からは入院なさっていてほとんどお会いできずじまいでした。

私が最初にお会いしたのは先生のご自宅で、寒い冬だったのを覚えています。初めはすべて日本語で話されるのでびっくりしました。うちなーぐちで私は返すのですが、なかなかスイッチが入らないのか、1時間くらい話した後にようやく、うちなーぐちを使って下さって、段々と打ち解けてくると、どんどん、本物のうちなーぐちが出てきました。もうそれからは嬉しくて楽しくて、いつまでも話を聞いていたいという思いだったのを今でも覚えています。

それから数回お会い出来たのですが、その後事情があり1年ぐらいお話しする事ができませんでした。

再びお会いする事ができた時には、先生は住まいも那覇市安謝の方に越されていて、それからは、私の運転する車で、博物館に行ったり、先生の旧友を訪ねたりと、あちらこちらお供させていただきました。

そして安謝の先生宅で夜中までお話しを聞くことがたくさんありました。先生の昔の芝居の話しや、うちなーぐちのことなど、本当に色々なことを学ぶことができ、先生は私が「なー、にっかなとーいびー事(もう、遅くなっていますので)」と言うと「ぬーが、寝んてぃ行けー(何だ、泊っていけばいい)」ともおっしゃってくれました。

とにかく、そういうことが1年くらいは続いたと思いますが、体調を崩されてからは、あまり頻繁に通う事はできなくなり、その後はずっと入院なさり、16日までまったくお会いできない日が3年近く続いていました。

残念です。

もっと、学べることが、もっと吸収できることがたくさん、たくさんあったはずなのに。

ただ、先生の昔、吹き込まれた芝居のテープが私はたくさんあり、それをいつも車で再生して聞いているので、先生がお亡くなりになったという感じはなく、いつも近くにいる感じがします。

真喜志康忠という名前は、2011年現在のうちなーんちゅには、もう、50代以上の方しか分からない存在となってしまっています。

うちなーぐちが復興する世の中になった時には、先生の名前が再び世の中の人々に知られる事になるでしょう。

いや、必ず、先生の名前は未来永劫、うちなーがある限り、歴史に芝居役者として残る筈です。
Date: 2011/12/23(金)


84 豊見城にある障がい者就労支援センター「ちいろば」主催ハッピー大賞の審査員をしました。

上の写真は、ハッピー大賞の審査員ということで胸に赤いバラのリボンをつけてイエーイ!Two thumbs up!
真ん中の写真は、審査も終えて皆で記念撮影しました。私はどこにいるでしょう?
下の写真は、皆の発表を終えてコメントをしてほしいと言われたので、すべてうちなーぐちでコメントしている様子です。



豊見城真玉橋にある、「特定非営利活動法人ちいろば会 障がい者就労支援センターちいろば」が主催するハッピー大賞という参加型の舞台発表大会の審査をつとめてきました。

この「ちいろば」で私は毎月1回、1時間ほどうちなーぐちを教えています。その縁もあってのことですが、審査なんて初めてのことでしたので何がなんだか良く分かりませんでしたが一生懸命審査しました。

そして審査員一同、皆で選んだ大賞が「どじょうすくい」という内容で面白い演技を披露した城間裕介くんでした。その城間くんが大賞を取ったということに関して沖縄タイムスが取材してくれて、ウェブサイトhttp://www.okinawatimes.co.jp/article/20111119_26205/にも掲載してくれています。

前にも書きましたが、「障害」という言葉は好きではありません。じゃあ、何か別の言葉を、と考えても今のところ良い言葉が思い浮かびません。ただ、「障害」の「害」という漢字はよい漢字ではないので「がい」とひらがなにして「障がい」と書くことぐらいが私に今できることです。

彼ら「障がい者」は社会的に色々な差別や困難を感じて生きています。それに対していわゆる「健常者」たちは彼らのことを知る義務があると思うのです。

「障がい者」という存在は社会では誰でも知っているはずですが、しかし、彼らに対しての知識は、彼らの家族や関係者でない限りほとんど知らないというのが現状でしょう。

私は自分の生い立ちである「アメリカ系うちなーんちゅ」という存在が社会ではほとんど知られていないということと、うちなーぐちは言語なのに「方言扱い」されているという現状と、彼ら「障がい者」に対する社会の無関心ということは、根っこは同じ問題なのだと思っています。

だから彼らに対する気持は特別なものがあります。

「アメリカ系うちなーんちゅ」、「うちなーぐちは立派な言語である」、「障がい者と呼ばれる人たち」、他にも、日本社会で生きて行くのならば知っておかなければならないマイノリティな存在やものごとはたくさん存在するでしょう。

これらの事柄を家族や地域だけで共有するのには限界があります。また、メディアが宣伝してもそれも限界があると思います。

私が思うのは、学校教育のなかで、国語、算数、理科、社会と教えるのも大切ですが、週の3分の1の時間は割いてでも、これらの当事者などを学校に招き、どういった事が問題かなどと語ってもらい、またクラスの皆でそれについて議論をさせる時間をたくさんもうけてはどうでしょうか?
Date: 2011/11/13(日)


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