*--光龍ぬうちなーありくり随筆--*

5 「ありがとうございます」を「琉球諸語」では?  2010/09/22(水)
4 2009年2月にユネスコがうちなーぐちを言語として認めた!  2010/09/21(火)
3 西原町平和音楽祭 その2  2010/06/23(水)
2 西原町平和音楽祭 その1  2010/06/23(水)
1 記念すべき第一回うちなーありくり随筆  2010/06-22


5 「ありがとうございます」を「琉球諸語」では?


(上の写真は2008年にドイツのデュースブルクという街での一枚。おそらくヨーロッパ初だと言われるうちなーぐち講座をデュースブルク・エッセン大学にて行いました。)



琉球諸島の6つの言語を総称して、今までは「琉球語」という呼称が一般的でしたが、そう呼ぶと混乱が生じます。

「琉球語でありがとうございますってどういうの?」と聞かれた際に、「琉球のどこの言葉、おきなわ?宮古?与那国?」と、どの言語の事を聞いているのか分からなくなります。

そういった混乱を招かないように、今では「琉球諸語(りゅうきゅうしょご)」という呼称を使う言語学者が多くなっていて、それが一般化しつつあります。

ちなみに「琉球諸語」のなかの6つの言語で、「ありがとうございます」をどういうか書いてみます。

まず、琉球諸島の一番北にある「奄美語」では「ありがたさまりょうた」と言うのです。

そして「国頭語」ですが、範囲が広くいくつかありますが、特に与論島の言葉を紹介します。そこでは「とーとぅがなし」というそうです。

はい、「うちなーぐち(おきなわ語)」は誰でも知っている通り「御拝(にふぇー)でーびる」ですね。

「宮古語」ですが、「たんでぃがーたんでぃ」と言います。

「八重山語」では「にふぁいゆー」。

「与那国語」では「ふがらっさーゆー」となります。

すごいでしょう。全地域、全部言い方が違います。これらを日本では方言といっているのです。

こんなに違う言語なのに方言扱いされているのみならず、学校教育で英語や日本語と同じように教えられる事はまずありません。

早く、そういう戦前の軍国主義的な間違った考えが終わる時代が来てほしいと願います。

前にも書きましたがイギリスのウェールズの事について少しふれます。

ウェールズは現在290万人の人口で、隣のイングランドとは違う文化があり、言語はウェールズ語を話します。ただ、その言語はイングランドに侵略支配され撲滅の危機にさらされていました。それらをウェールズ人は復活させる運動をおこし、何と1988年に法律で義務教育に取り入れさせたのです。

義務教育に取り入れるというのはウェールズ語を教える先生に給料が支払われると言う事なのです。

我がうちなーは現在公務員志向の強い人が多いので、そこでうちなーぐちの科目を学校教育に取り入れたならば、皆うちなーぐちを勉強し、それがうちなーぐち復興の基礎になるでしょう。

これは何もうちなーだけではなく残りの5つの地域と、アイヌ語、八丈語にも同じ事がいえます。
Date: 2010/09/22(水)


4 2009年2月にユネスコがうちなーぐちを言語として認めた!

(ユネスコの発表に基づき、言語学者と相談し作った琉球諸島の地図。これら6つの言語を総称して「琉球諸語(りゅうきゅしょご)」と言います)


皆さん、ユネスコ(国連教育科学文化機関)はご存知でしょうか?

世界遺産保存活動で有名ですよね。

そのユネスコが日本には日本語以外に、8つの言語があると発表しました。

ただ、それらは日本語のように消滅するおそれがまずないと思われている言語と違い、消滅の危機にさらされている危機言語として扱われています。

それについての朝日新聞の記事が

http://www.asahi.com/shimbun/nie/kiji/kiji/20090302.html

で見られます。

その日本の中の8つの危機言語ですが、まず北からアイヌ語、そして、八丈島の八丈語が日本本土にある日本語以外の2つの言語です。

そして残りの6つが琉球諸島にあります。

北から  

奄美語(あまみご)

国頭語(くにがみご)

おきなわ語

宮古語(みやこご)

八重山語(やえやまご)

与那国語(よなぐにご)です。

これらはお互いに通じ合いません。

ですから、ユネスコが認めるも何も、元々これらは言語だったのです。

それを、1879(明治12)年に日本は琉球王国を武力で崩壊させ、強制的に琉球人に日本語教育をし、これら琉球の言葉は言語ではなく、方言だといって琉球人の自尊心を傷つけてきました。

その名残で、現在でも自分たちの言語を蔑む訳ではないのですが、これら6つの言語が存在する地域では、自分たちの言語の事を「方言」と呼んでいるというのが現状です。

「方言」という言葉ですが、広辞苑に「言語の下位区分」とあります。

つまり、「方言」とは日本語より下の言葉という意味になります。

ユネスコはそうではなく日本語と対等な言語だと発表しています。

「方言」という言葉のイメージはとても悪いのは誰でも分かる事でしょう。

また、世界的に見ても「方言」は、価値が低いものだと考えられているので、教育で教えるという事はあまり考えられないようです。

しかし、これが「言語」だと話は別です。

「言語」というものは、英語、中国語、日本語など学校教育で教えるのは当然ですし、政治経済は言語がないと成り立ちません。そもそも、人間社会がここまで発達してきたのは言語のおかげだといえるのではないでしょうか。

日本にある8つの言語、それらは言語として認識されておらずいまだに方言扱いです。

世界には少数言語が復活し、公用語として学校教育で教えている地域もたくさんあります。

例えば、イギリスのウェールズや、スペインのカタルーニャやバスク、またアメリカのハワイなどがあります。

それらの地域では復興活動が盛んで、きちんと言語として認識されており、人々はその言語に誇りをもっています。

日本社会では、日本語以外に言語が存在するというのは夢物語のようにしか思われていません。

しかし、それは幻想であり、きちんと歴史を見れば、アイヌや琉球は違う文化があるのはすぐに分かる筈です。

日本語以外の8つの言語、それらは危機言語として扱われており一刻も早く公的な援助や世の中の関心が高まる事が必要とされています。
Date: 2010/09/21(火)


3 西原町平和音楽祭 その2



その1で紹介した「平和音楽祭2010平和宣言」の動画をここに掲載します。これも声と動画がずれていますのでその辺は勘弁して下さい。下に私のうちなーぐち訳とその日本語の原文を掲載します。目で追って聞いて頂ければ私が何を言っているのか分って頂ける筈です。日本語原文は西原町の小学生が読んでくれました。

その動画、日本語原文、うちなーぐち翻訳文もすべて西原町のウェブサイト
http://www.town.nishihara.okinawa.jp/general/general_heiwaongakusai2010.html
でも見られますが、あえて同じ文を下にも掲載しておきます。


平和の邦からのメッセージ


昔(んかし)、海(うみ)ぬ彼方(あがた)ニレーカネーから、御神々(うかみがみ)ぬ、うちぇーんそーち、御作(うちゅく)いに、なみそーちゃんでぃち、言(いゃ)っとーいびーる、くま、うちなー。

青(おー)ってーんし、澄(し)どーいびーる南(ふぇー)ぬ海(うみ)ぬ風(かじ)とぅ、てぃだぬ光(ひかり)んかい抱かってぃ浮上(うちゃ)がゆる島々。

うちなーや、昔(んかしぇー)、アマミチュー、シニリチューんでぃ言(いゆ)る御神加那志(うかみがなしー)ぬ治(をぅさ)みみそーちゃんでぃ言(いゅ)る、伝話(ちてーばなし)んあいびん。

やいびーしが、文明ぬ伝(ちた)わいしとぅまじゅん、平和(ふぃーわ)ぬ国、うちなーん、たった、乱(みだ)り世(ゆー)なてぃ行ちゃびーたん。

うちなーや、唐(とー)とぅぬ、御取(うとぅい)けーぬあてぃ、琉球(るーちゅー)ぬ国ないびたしが、くりまでぃ、まぎさる国ぬ言(いゅ)るまま、なびかんでーないびらんたん。

始(はじ)みぬ尚氏尚巴志(しょーししょーはし)ぬ世(ゆー)に、うちなーや、色々(いるいる)な国とぅ取(とぅい)ふぃれー行(うくな)てぃ、数多(あまた)ぬ宝、持(む)ちゅる事(くとぅ)ないびたん。

うりから金丸(かなまる)、後(あとぅ)ぬ尚円王(しょーゐんをー)ぬ世(ゆー)から四百年(しひゃーくにん)ぬ間(うぇーだ)、琉球(るーちゅー)ぬ国(くねー)、ウランダまでぃ、うぬ名(なー)ぬ豊(とぅゆ)まりーる国、ないびたん。

やいびーしが、うぬ栄(さけー)とーる後居(くしをぅ)てー、如何(ちゃー)まぎさる国ぬ言(いゅ)し聞(ち)かんでーないびらんたん。

例(たとぅ)いどぅんしぇー、唐(とー)とぅぬ、冊封(さっぷー)、また、千六百九年(しんるっぴゃくくにん)、薩摩に攻(し)みらってぃ、琉球(るーちゅー)や薩摩ぬ、かげー内(うち)ないびたん。

あんし、明治十二年(じゅーににん)から昭和二十年(にじゅーにん)までぃぬ六十六年(るくじゅーるくにん)、うぬ間(うぇーだー)、日本国ぬかげー内(うち)ないびたん。

うぬ後(あとぅ) 二十七年(にじゅーしちにん)ぬ間(うぇーだ)、アミリカぬかげー内(うち)。あんし、また、日本国ぬ元(むとぅ)んかい。

今迄(なままでぃ)、くま、うちなーぬ昔(んかし)からぬ慣れー、また、能羽(ぬふぁ)・芸能(じーぬー)、言葉(くとぅば)ぬ数々(かじかじ)。

うり絶(てー)らんしぇー、何(ぬー)んでぃちが?

うれー分かとーいびん。

くぬ国(くねー)、人(ちゅ)、人間(にんじん)ぬ生(ぅん)まりーる、大昔(うーんかし)から、てぃーだとぅ、海ぬ、見守(みーまん)とーる、平和(ふぃーわ)ぬ国やくとぅるやいびん。

あんさびー事(くとぅ)、なー、今(なま)からー、くぬ平和(ふぃーわ)ぬ国、他所国(ゆすぐに)ぬ戦(いくさ)ぐとぅっし、傷付(きじち)きーしぇー、やみてぃ呉(くぃ)みそーり。

大昔(うーんかし)、人(ちゅ)、人間(にんじん)や生(ぅん)まりとーいびーしが、うりやかん、くぬ国や古く、また、深さいびん。

くぬ国や、本当(ふんとー)や平和(ふぃーわ)やんでぃ言(いゅ)る事(くとぅ)、分かてぃうたびみしぇーる人(ふぃとぅ)ぬめんしぇーる限(かじ)れー、うちなーぬ昔(んかし)からぬ慣(な)れー、また、能羽(ぬふぁ)・芸能(じーぬー)、言葉(くとぅば)ぬ数々(かじかじ)ぬ絶(てー)ゆる事(くとー)、無(ねー)やびらん。

地球ぬ歴史ぬ中居(をぅ)てぃ、人(ちゅ)、人間(にんじん)ぬ歴史んでぃ言(いゅ)しぇー、ただぬ、一時(いっとぅち)やいびん。

御総様(ぐすーよー)、平和(ふぃーわ)ぬ国くま、うちなー、大切(てーしち)にし呉(くぃ)みそーり。

また、御総様(ぐすーよー)ぬ平和(ふぃーわ)願(にが)いる心(くくる)ん大切(てーしち)にし呉(くぃ)みそーり。

平和(ふぃーわ)ぬ想(うむ)い、歌に込(く)みてぃ、くま、西原(にしばる)から、今(なま)、世界(しけー)んかい、平和(ふぃーわ)願(にが)いる心(くくる)、届(とぅどぅき)きやびら。




昔、海のかなたにある、ニライカナイから、神々が訪れ、誕生したという沖縄。
青く澄んだ南海の風と輝く太陽の光に抱かれて浮かぶ島々沖縄はかつて伝説の王アマミキオによって治められていたと言われています。
しかし、文明の光が差しこむにつれ、平和の邦、沖縄も動乱の時期が訪れました。

沖縄は中国との国交により琉球王国となりましたが、今日まで世界の大国に翻弄されてきました。
沖縄は第一尚家尚巴志時代に輝かしい大交易時代を迎えました。
そして、第二尚家尚円王の時代に400年及び繁栄した、大琉球王国が誕生しました。
でも、その影では常に大国の脅威にさらされて来ました。
冊封体制、薩摩支配、琉球処分、アメリカ統治、本土復帰。沖縄復帰のハズなのに。

歴史の中で、沖縄独自の風習や伝統芸能・文化がなぜ息絶えないのか。答えは 決まっています。
この邦は、人類が生まれる以前の太古から太陽と海に囲まれた平和の邦だからです。
どこかの邦の争いごとで、この平和の邦を傷つけるのはやめてください

人類の歴史よりもこの邦はずっと深いのです。
この邦の「平和」と言う鼓動に共感している人がいる限り、沖縄の風習や伝統芸能・文化が息絶えることはないのです。
地球の歴史のほんの一瞬の人類の歴史。 
皆さん、平和の邦、沖縄を大切にしてください。
そして、皆さんの心も大切にしてください。

平和の心を歌に重ねて、今世界へ、ここ西原から平和の想いを送りましょう。
Date: 2010/06/23(水)


2 西原町平和音楽祭 その1




おきなわ島中部にある西原町が「平和音楽祭2010比嘉光龍さんのゆんたく(おしゃべり)」という題でYOU TUBEに私のうちなーぐち(おきなわ語)トークをアップしてくれていますのでそれを上に掲載しました。この動画はとても重いのでしょう。私の声と映像がずれまくっています。その辺は勘弁して下さい。また、うちなーぐちを分らない方は私が何を言っているのかほとんど分らないと思います。字幕なしですみません。

今年、2010年西原町平和音楽祭は、私がうちなーぐちで平和宣言を読み上げて始まりました。

その2か月前に出演依頼があったのですが、平和祭の始めに、うちなーぐちで平和宣言をしてもらいたい、ついてはその内容を日本語で送りますので翻訳お願いしますとのことでした。

それを1週間かけて、私のうちなーぐちの師匠である、大正6年首里金城町生まれの屋嘉比ぬ ぅんめー(屋嘉比の おばあさま)に手伝って頂きながら、かなり頑張ってうちなーぐちに訳しました。

自分で言うのもなんですが力作です。

「大国に翻弄され」とか、「動乱の時期」」だとか、うちなーぐち訳が不可能な言葉もいくつかありましたが、それらを一つ一つ、広辞苑から言葉の定義を読みとり、うちなーぐちに当てはめる作業を行いました。

まあ、こういうことは以前から何度もやってきているので、そんなに苦ではありませんでした。

日本語からうちなーぐち(おきなわ語)へ訳す、こういう仕事が私の元へくると言う事はとてもありがたいことです。

うちなーぐちに自信のある方、また、あまり自信の無い方。また、まったく、うちなーぐちが分からない方、それぞれ、うちなーぐちに私が訳した文を聞いて頂きたいと思います。

これらは西原町の好意により、西原町のウェブサイトのアーカイヴとして保存されるでしょう。

その内容は次の「西原町平和音楽祭その2」に掲載します
Date: 2010/06/23(水)


1 記念すべき第一回うちなーありくり随筆

御総様(ぐすーよー、と読み皆様と言う意味)

 我(わ)ん随筆(私の随筆を) 読(ゆ)でぃ呉(くぃ)みそーち(読んで下さって)

 御拝(にふぇー)でーびる(ありがとうございます)。

 うちなーぐちぬ事(くとぅ)(うちなーぐちの事や) うちなーぬ歴史かりくり(うちなーの歴史かれこれ)

 書ちいけーやーんち(書いていこうと) 思(うむ)とーいびーくとぅ(思っていますので)、

 ゆたさるぐとぅ(よろしく)、 御願(うにげー)さびら(お願いします)。

この「光龍ぬうちなーありくり随筆」では、「うちなーぐち(おきなわ語)」や、うちなーの歴史について色々な面白い事を気ままに書いていこうと思っています。


はい、まず初めにここで書いておきたい事があります。

それは、我が生まり島の名称ですが、これをひらがなで「うちなー(おきなわ)」と、書くのは問題はありませんが、漢字で「沖縄」と書くのは私は良くないことだと考えます。

なぜか?

「沖縄」という漢字は薩摩が命名した漢字だからなのです。(『沖縄タイムス大百科事典』上巻P427参照)

歴史をご存じの方はお分かりのように、薩摩は1609年に琉球を侵略し、1871年まで262年間、琉球を裏で支配し、搾取し続けていました。

その後1879(明治12)年からは薩摩の裏支配に変わり、日本(明治政府)の直接支配が始まります。270年近くも薩摩からの支配で琉球王国には日本(明治政府)に抵抗する力はほとんどありませんでした。

そして、1879(明治12)年から1945(昭和20)年までの66年間徹底的に日本への同化政策が行われた琉球諸島には、もはや文化を復興する、言語を継承する力がないまま日本敗戦を迎えます。

それから1972(昭和47)年まで27年間米国に支配されましたが、過去に66年間、日本に徹底的に琉球の文化を否定されてきたので、琉球の言語を復興どころかさらに否定することを学校教育や行政などは推進してしまいました。

その後、1972(昭和47)年、琉球諸島は再び日本国領土となってしまい、それは現在でも続いています。

これら1879(明治12)年から2010年現在まで日本や米国に支配され続けた原因は1609年以来、琉球を飼い犬のように馴らし、ご主人様に牙を向けることなど絶対にさせないという薩摩が、我々の祖先に植えつけた観念がいまだに生きているからだと言えるでしょう。

要するに、現在の琉球諸語否定、また米軍基地被害、沖縄県の学力最下位、所得の低さ、離婚率の高さなど、これらの原因の遠因は、薩摩が1609年に琉球を侵略したからだと私は考えます。

何を言っているのだという声が聞こえそうですが、イングランドが過去に侵略したウェールズ地域の貧困の現状や、アメリカが侵略したハワイの先住民などの貧困の現状などは、大国に侵略された昔のトラウマが今でも続いているからなのです。それは同じように日本に侵略されたアイヌや琉球も同じだといえるでしょう。

その侵略者薩摩が付けた「沖縄」という漢字を我々うちなーんちゅ(おきなわ人)は無意識に今も使い続けています。


ですから私は、まず初めに「沖縄」という漢字は誰が命名したか?

それを、我々うちなーんちゅはきちんと考えなければいけないと思うのです。

私は今後執筆する際、なるべく「うちなー」、もしくは「おきなわ」とひらがなを用いますが、どうしても「沖縄」と漢字を書かなければいけない時には不本意ですが、仕方なく書きます。

うちなーんちゅはこの事実をきちんと知り、その上で県民投票などをして、このまま「沖縄」という漢字を用いるかどうか、皆で考えるべきだと思います。
Date: 2010/06-22


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